二十三夜
文政二巳卯歳
村中
檜原村の南の尾根を越えたところにある地域のひとつ、棡原(ゆづりはら)。
現在は車道とトンネルも開通し、そのまま南下すると、甲州街道につながる。
最初に出会う集落が、日原。
集落に入って進んでいくと道端に石塔が並んでいた。古い墓標。
そばで草刈りをしていた方に尋ねると、すぐそばの道がわかれるところに大きな二十三夜塔が立っていた。
棡原中学校編「棡原の石造物」 昭和55年上野原町教委発行によると、197㎝。
その場所を庚申というそうで、庚申塔と聖徳太子塔が一緒に並んでいる。
「お日待ち」ということの習慣はあったそうだ。二十三夜が女性の講かどうかは不明。
この地区も獅子舞があり、秋の祭りは10月。檜原村は9月が多い。新暦・旧暦の違いなのか。獅子舞は檜原から伝わったという地区もあるとのこと。
話を伺った方は、以前天皇がこの地区を訪問された際に獅子舞等の説明をしたという。「伝統が絶えぬよう伝承ください」との言葉に、責任を感じていますといわれた。
石塔のそばの家の亡くなったおばあさんは、檜原村人里(へんぼり)から嫁いでこられたらしい。歴史のあると分かる屋号のお宅。
文政二年己卯(つちのと・う)は、1819年。
檜原村の二十三夜塔は1850年代が多いが、棡原では1800年代前期が多い。この地域から伝わったように思える。