○ 奉納念三夜供養塔
安永二癸巳年 ■日
七月十五日
安永二年は1773年で、西原の二十三夜塔の中では古い。「西原の神仏信仰」の解説には、念仏供養塔との関連を示唆されている。確かに力強く彫られた廿三夜塔とは趣は違う。
長野県佐久地方の念三夜塔は、一遍からひろまった三日三晩の踊り念仏の供養塔だということだ。
しかし、長野県「栄村の石造文化財」には、文政十年1827年の「念三夜」塔につき、念は二十のなまり、とある。
時宗が残っているのか、一時的に流行したことがあったのかなどの状況を調べないとなんとも言えないか。「西原の~」にも、信仰の詳細は不明と記されている。
西原の平野田地区の旧道の傍らに堂々とした「善光寺念仏供養塔」享和二年1802年と、「庚申塔」文化五年1808年と並んでいる。