二十三夜に魅せられて
東京・檜原(ひのはら)村の石塔石仏と各地の二十三夜塔を訪ねて
2015年6月30日火曜日
村外・大月市七保町
廿三夜 □□
大月市の七保町の下和田地区。
県道の北側に並行して細い道があり、こちらが旧道かもしれない。観音堂がある。
その階段わきにどっしりとした石塔が半分埋もれながらたっている。
ここをずっと北上し、大月市の向こう側には、山梨県北都留郡小菅村。そこに美しく由緒ある「長作観音堂」がある。そしてこの大月市の観音堂はその流れをくんでいるそうだ。
2015年6月23日火曜日
村外・大月市七保町
○ 念三夜供養塔
宝暦九 □□□
大月市七保町下和田の寺原地区。北から下ってくる葛野川が今少しで桂川と合流するあたりの左岸側。
春日神社があって、その先に花井寺。そのまま奥へ向かうとしばらくして道路わきに赤い鳥居が見えた。
道祖神、庚申、大念仏供養塔もならんでいる。
宝暦九年は1759年。
2015年6月18日木曜日
村外・大月市富浜町
廿三夜
願主 石工勝右衛門 藤本伊助
安政六己未正月廿三日
大月市富浜町の宮谷新道地区。甲州街道から桂川の方へ坂道を下ると、川に面して精進場という場所がある。たくさんの石塔がならんでいる。
安政六年己未(つちのとひつじ)は、1859年。
2015年6月15日月曜日
村外・大月市富浜町
廿三夜
願主 講中
文久四甲子二月彼岸日
(裏面に願者14名の名)
大月市富浜町宮谷の山王地区。中央高速の北側。
寛政五年(1793)の道祖神と並ぶ。正面が少し彫りくぼめられた中に廿三夜の文字。
蔦がからみ草に覆われていた。文久四年甲子(きのえね)は1864年。2月20日には元治に改元されている。
2015年6月10日水曜日
村外・大月市富浜町
廿三夜
當所講中建
大月市富浜町の宮谷地区。甲州街道の北寄りを通る中央高速をこえて登っていく。民家の前に、献燈 秋葉山と彫られた燈籠と並んでたっていた。そばに半鐘もある。
建造年等は不明。
2015年6月9日火曜日
村外・大月市富浜町
廿三夜供養
施主 二拾人
享保十巳十一月吉日
JR中央線鳥沢駅から猿橋駅に向かうあたり、桂川に沿って甲州街道も北上する。途中のわき道をさらに北に登ったところに、臨済宗建長寺派瑞光寺。
境内の祠に丸彫りの勢至菩薩像。台座に廿三夜供養と彫られている。勢至菩薩は三十日秘仏の二十三日にあたる。享保十年は、大月市の月待塔では最も古い、1725年。
まだ若い、独身の住職にお話をうかがいました。
2015年6月7日日曜日
村外・大月市猿橋町
(月・日) 廿三夜
當村 佐藤○○右衛門 ?
文久二壬戌五月二十三日
大月市猿橋町の殿上地区。甲州街道沿いに三嶋神社がある。境内の端に消防の建物が建っていて、その脇に道祖神と並んでいる。
向かって右側は赤い鳥居も見えるが、円行寺というお寺。
文久二年壬戌は1862年。
2015年6月3日水曜日
村外・大月市猿橋町
廿三夜
文化五辰四月吉祥日
当宿講中 甚五右衛門 清左衛門 定兵衛 銀左衛門 常八
大月市猿橋町の「猿橋」を渡ったあたりが橋向地区。心月寺の入り口にある石塔群の中に、庚申の文字塔と並んで建っている。
文化五年は1808年。
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