2016年4月30日土曜日

天神塔 / 笛吹

奉納 菅原天神宮

大正七年

三月廿五日

学問、詩歌の神様として尊崇される、菅原道真を祀る天神様。
大正年代ですが造立者名はありません。檜原村笛吹地区でも、都道よりだいぶ登ったあたり。道とともに周辺も整備されているようです。



2016年4月26日火曜日

成田山 / 数馬

成田山

明治三十七年十月吉日建之

檜原村数馬地区の小学校の旧分校がある場所は、宝積寺というお寺の跡地。
お寺はこの塔が建てられたのと同じ、明治三十七年十月に、人里(へんぼり)の玉伝寺に合寺されている。
その時にどういう経緯で「成田山」の石塔が建てられたのか、興味深い。成田山は真言宗智山派。




2016年4月21日木曜日

馬頭観世音 / 数馬

(馬頭観世音像)

施主、年号等不明。

檜原村数馬地区の石塔群の中に、なかなか愛嬌のある表情の馬頭観音像。寛保二年の庚申塔の、ひとつおいた隣にたっている。




こちらは新緑の頃

2016年4月19日火曜日

庚申塔 / 数馬

奉造立庚申供養

施主 又兵衛

□□□右門

寛保二壬戌年七月日


日月、三猿があり、衣の襞がめづらしい。虫か、さなぎのようにも見える。寛保二年は1742年。


檜原村でも奥に位置する数馬地区。お堂でもあったか、多くの墓石等が並ぶ。







2016年4月17日日曜日

二十三夜塔 / 柏木野

勢至菩薩墓所 

當寺六世第一座瑞岩龍

延享元甲子ノ九月廿三日

勢至菩薩は弥陀三尊の右脇侍(向かって左)。三十日秘仏の23日が縁日のため、二十三夜待ちの本尊となっている。
檜原村史のリスト、二十三夜塔の部では最も古い造立で、延享元年は1744年。文字の彫りもはっきりしていて、当初からのものか・・・どうでしょうか。

檜原村柏木野地区のお寺の跡や墓地から少し離れたところ。像塔二体が脇に立つ。「墓所」とあるのは何を意味しているのか。 歴代の住職の墓石は墓地の中に並んでいる。(六世は確認できなかったが)








2016年4月13日水曜日

馬頭観世音 / 上元郷

(馬頭観世音像)

檜原村上元郷の上日向橋そばに四体並ぶ石塔の、向かって左から二つめ。摩耗が激しく、正確には像名も確かではない。

左隣は、同じ台座に建つ、延享二年(1745年)の馬頭観世音。





2016年4月12日火曜日

庚申塔 / 上元郷

(青面金剛像塔)

元禄十一年寅十月廿三日

摩滅により、読み取りにくい。はっきり分かるのは十一くらいか。

村史のリストには、(月 日)とあるが、ほとんど確認できない。

檜原村上元郷の上日向橋そばの四体の石塔のうちのひとつ。下部に三猿あり、台座は蓮の花弁型。

元禄十一年戊寅は、1698年。300年以上も前になる。





2016年4月10日日曜日

馬頭観世音 / 上元郷

(馬頭観世音像塔)

宝暦九年 □ □

檜原村上元郷地区の上日向橋を渡ると正面に四体の石塔がたっている。
一番右端の馬頭観音。表情がたいへん穏やか。
文字は摩滅して読み取りにくい。

宝暦九年は己卯(つちのと・う)で、1759年。今から250年以上前になる。




2016年4月8日金曜日

馬頭観世音 / 笹野

馬頭観世音

大正十年五月二十七日死

昭和二年八月十日

在郷軍人

施主 田之倉朝義

檜原村笹野地区の道路わき、川側にひっそりと。
在郷軍人さんの愛馬が死んでしまい、その供養にたてられたか。
おそらく道が広がったせいで、環境が悪くなってしまったが、線彫りの馬が可愛らしい。
村史のリストに記載がない。








2016年4月7日木曜日

百番塔 / 上元郷

百番供養

施主 マン

文政第十一子年十有月吉祥日

檜原村上元郷地区。観光協会の近くの道路わき、畑の中に顔を出す百番塔。

文政十一年戊子(つちのえ・ね)は1828年。