2018年11月30日金曜日

茨城県 / 土浦市

(月・日)(サク)奉供養廿三夜二世安楽攸

正徳四甲午天  九月吉祥日

藤澤惣供養所 神宮寺霊天 池臺 行者十六人敬白

土浦市藤沢、旧新治郡新治村藤沢。戦国時代に城があったようで、付近は今でも武家屋敷風の家並みを感じさせる。通りから少し入ったところに法華院跡。
正徳四年は1714年。300年も経っている。





2018年11月28日水曜日

茨城県 / 土浦市

(サク)奉修廿三夜供養攸

宝永三歳 丙戌 □□□ 日

飯嶋次三□ ・・有田・・来栖・・寺嶋・・

土浦市藤沢字中城、土浦駅北西約7キロの神宮寺門前。
文字が小さめで浅い彫りなので見えにくいが、7人の名前があるようだ。
こちらの神宮寺は新義真言宗。宝永三年丙戌(ひのえいぬ)は1706年。
312年前になる。







2018年11月26日月曜日

茨城県 / 土浦市

(サク)二十三夜塔

文化四丁卯天 十一月廿三日

右 とう志やうじ 左 つくば

大畠村 講中

鷲神社の北西約800mの路傍。土浦市藤沢字十三塚の分かれ道にしっかりとした彫りの二十三夜塔がたっていた。「とう志ようじ」は、「東城寺」か。文化四年は1807年。





2018年11月25日日曜日

茨城県 / 土浦市

(日月)(サク)奉俟廿三夜供養身心攸

宝暦十三癸未年 大畑村

十一月廿三日 本田中

土浦市大畑の鷲神社。夏には「からかさ万灯」といって、大きなからかさから花火が滝のように落ちるお祭りがあるようです。
寛政の二十三夜塔とは形が随分違っている。背が高く目があって、手のないバルタン星人のよう。「俟」は「待」で、「攸」は「所」。
宝暦十三年は1763年。






2018年11月23日金曜日

茨城県 / 土浦市

(サク)二十三夜待供養燈

寛政二庚戌年  十一月吉日

結衆 若者

土浦市大畑の鷲(わし)神社。土浦駅より北西約7キロ。
鷲神社の祭神は天日鷲神で、天岩戸の神話にでてくるようだ。
ふつう「塔」や「等」という表記が多いが、資料には「燈」とある。やや読み取りにくい。
寛政二年庚戌(かのえいぬ)は1790年。






2018年11月21日水曜日

茨城県 / 土浦市

(サク)二十三夜待供養塔

安永七戊戌 十月大吉日

結衆中 敬白

土浦市大畑新田公民館の4基目の二十三夜塔は安永七年(1778年)。
4基の中では新しいが、倒れてしまっている。




2018年11月20日火曜日

茨城県 / 土浦市

(月輪中にサク) 奉供羪廿三夜安全祈所

宝暦十二壬午天 十月二十三日

大畑邑新田 善男十九人

土浦市大畑新田公民館の3基目の二十三夜塔。
宝暦十二年(みずのえ・うま)は1762年。
ここにある4基のうち3基が10月の建立。一番古い元禄5年は9月。




2018年11月17日土曜日

茨城県 / 土浦市

(日月)(サク)奉待皈命月天子廿三夜

乃至法界平等利益

旹元禄五壬申天九月二十三

土浦市大畑新田公民館。石塔下部は埋もれていて文字も途中までしか見えない。
「皈」は「帰」の異体字。「旹」は「時」の異体字。
元禄五年は1692年。今から326年前となる。
向かって左となりの三角形の石塔は享保十一年(1726年)の光明真言供養塔。
「奉誦光明眞言一億徧二世安楽攸」とある。




2018年11月13日火曜日

茨城県 / 土浦市

(月輪中にサク) 奉待廿三夜供養等

寛保三癸亥天  十月廿三日

大畠村新田 善男十四人

土浦駅より北西約7キロ。大畑新田公民館の奥に古い石塔が並んで立っている。
寛保三年は1743年。




2018年11月11日日曜日

茨城県 / 土浦市

(サク) その下に梵字が四文字
  一番下も(サク)

宝永二乙酉天  十月二十三日

(サク)の「真言」は、「おん-さん-ざん-ざん-さく-そわ-か」の7文字のようだが、「さん」がなく、「そわか」は土に埋もれているのかもしれない。
土浦市沢辺の生活改善センターにある勢至菩薩塔。宝永二年は1705年、313年前。






2018年11月8日木曜日

茨城県 / 土浦市

勢至菩薩立像

光背型 紀年銘なし

土浦市沢辺の生活改善センターの裏手。
蓮華台に立ち、やや憂いをおびた表情に見える。




2018年11月4日日曜日

茨城県 / 土浦市

(サク)二十三夜塔

文化四卯年  十一月吉日

澤邉 □  男女中

土浦市沢辺地区でも北側、土浦駅からだと北西約10キロ。田畑がひろがり大谷石の塀の大きな農家が多い。筑波山につらなる山々も近くに見える。生活改善センターという集会所の裏手に石塔が並んでいる。
中央の「ぬりかべ」のように大きく四角な石塔は、(日・月)や如来の5つの梵字が彫られている。その隣に、やはり大型の文化四年(1807)の二十三夜塔がたっている。男女中とある。