文化二乙丑天四月吉祥日
文化二年乙丑(きのとうし)は1805年。
檜原村南谷の上川乗組は、新編武蔵國風土記稿の文化12年(1815)の調査によれば、「民家ハ十九軒アリ」となっている。
その小さな集落で、1763年から1805年の約40年間に7基の百番塔が立てられている。
隣町の五日市でも、1780年から1809年の建立が最も多い。やはりブームのようなものがあったのでは。
ちなみに九州・佐賀県西部の鹿島地方でも、宝暦年間(1750~)頃には西国や四国の霊場巡りに参加するする人々があり、寛政年間(1789年~)頃には地元にも霊場が設けられた。
どういう理由か、幕末になると佐賀藩では霊場巡りを禁止したらしい。
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