二十三夜に魅せられて
東京・檜原(ひのはら)村の石塔石仏と各地の二十三夜塔を訪ねて
2012年12月29日土曜日
万霊塔 / 柏木野
卍 三界萬霊
苔が覆い、草に埋もれていたが、村史のリストにある万霊塔と思われる。
お堂(風土記稿にある圓通寺の跡か)のある墓地のそばにひっそりと。
2012年12月26日水曜日
万霊塔 / 神戸
先亡各々霊有縁無縁
神戸(かのと)地区の徳泉寺入り口。小さな字で彫られているが、諸霊を回向し、冥福を祈る。
建立年等不明。
2012年12月25日火曜日
万霊塔 / 湯久保
(梵字) 諸性霊等
湯久保地区の墓地の入り口に立つ。
梵字は不動の「カーン」のようにも見えるが、はっきりしない。
風土記稿によると、小澤組が宮ヶ谷戸組と夏地組に分かれ、宮ヶ谷戸組の小名に「湯の窪」が出ている。
建立年等不明。
2012年12月22日土曜日
万霊塔 / 小岩
三界萬霊等
これも建立年月等不明。
字体が面白い。界の上部が突きぬけて、「由」になっている。
「霊」も装飾的。 塔は、「等」となっている。
向かって右となりは、廿三夜の「月天子」
2012年12月21日金曜日
万霊塔 / 笹野
三界萬霊等
建立日等不明
笹野は風土記稿によると南谷ではなく、本村下組になっている。
すっきりとした、石塔。
2012年12月20日木曜日
万霊塔 / 神戸
萬人供養塔 嶋崎甚五良建立
明治卅三年八月吉日
神戸(かのと)地区への入り口に立つ。道路改修で寄せられたか。
年月の表示はあっさりしている。明治33年は1900年ちょうど。
上部に飛雲付きの月・日がある。
2012年12月19日水曜日
万霊塔 / 神戸
三界萬霊等
元治元子年臘月吉祥日
臘月は12月の異称。
神戸(かのと)地区の徳泉寺階段わきに。
元治元年は1864年。幕末ですね。
2012年12月18日火曜日
万霊塔 / 宮ヶ谷戸
(梵字) 萬霊塔 寒念仏講中
元治元甲子九月吉祥日
梵字は阿弥陀如来のキリークのように見える。
道路わきの石塔群の中に、文化十年(1813)の寒念仏塔と並んで立っているが、おそらくどこからか移設されものと思われる。
2012年12月17日月曜日
万霊塔 / 神戸
先祖代々 有無 縁三界萬霊塔
嘉永元戊申星十月如意珠日
神戸地区徳泉寺の階段脇にある。これも日付の表記がお洒落。
嘉永元年戊申(つちのえ・さる)は1848年。
2012年12月16日日曜日
万霊塔 / 本宿
三界萬霊塔
文政第十亥八月吉日
村の中心地、口留番所(現在の村役場そば)を過ぎ、橘橋を渡って突きあたり、道が北谷と南谷に分かれるところにある。現在は信号機のあるT字路。 吉祥寺入り口。
文政十年は1828年。
2012年12月15日土曜日
万霊塔 / 中組
三界萬霊 願主 当村老若男女
于時文政五壬午竜集二月宝珠日
年号表記の于時は(ときに)と読むか。
竜集・龍集は年号の末尾に付く。
文政五年壬午(みずのえ・うま)は1822年。
旧澤又組の寒沢寺の墓地跡に立つ。
上部が欠けていて、中央部にも傷のようなものがある。
2012年12月14日金曜日
万霊塔 / 神戸
三界萬霊 現住契禅毛謹誌
維時文化第五竜集秋九月吉祥日
神戸(かのと)地区。今は無住の徳泉寺境内に立つ。吉祥寺末。
いかにも僧侶っぽい文面。
維時は、これとき、「時は・・」みたいな感じか。
竜集は年号の末尾。1808年。
2012年12月13日木曜日
万霊塔 / 大沢
三界万霊
安永六年酉 十月吉日
上部が少し欠けている。霊の字はカタカナの「ヨ」の下に「大」の、異体字。万は読み取りにくい。
そばに立てかけてある卒塔婆に「観音寺壇越三界万霊・・・」の文字。観音寺は大悲願寺末。
2012年12月12日水曜日
万霊塔 / 上平
三界万霊等
現住 綱宗代
宝暦三癸酉年六月吉祥日
墓地の端に、今ではあまり構われずにひっそりと。
宝暦三年(みずのと・とり)は、1753年。
現住は、お寺の現在の住職という意味なのでしょうか。
綱宗とは、住職の名前とは思えませんが、高尾太夫を斬ったという伊達綱宗?・・・
「塔」が、「等」という字になっています。
2012年12月11日火曜日
万霊塔 / 上川乗
○
三界萬霊
享保十九甲寅天九月十日
上川乗地区の墓地入口の石塔群の中に立つ。
万霊塔はお寺の境内、墓地に建てられていることが多い、とある。
三界は、欲界・色界・無色界。
世界のあらゆる霊を供養する。享保十九年甲寅(きのえ・とら)は1734年。
2012年12月10日月曜日
聖徳太子塔 / 小岩
聖徳太子
年記銘 不明
白っぽい石で、文字は徳と太しかない。
どうしてこうなったのか。聖徳太子だけど、廃仏毀釈と関係あるのかどうか。
あるいは土砂に流されたり、倒れてしまったのか。
2012年12月9日日曜日
寒念仏塔 / 白岩
寒念佛供養 倉掛組
弘化四未四月日
風土記稿の北谷十組の最奥、倉掛組。記述も少ない。
小名 倉掛 東ノ方ヲ云
白岩 西ニヨレリ
神社は、山神社 百姓持
寺院は、阿弥陀堂 村民持 とある。
白岩はシラヤというと、「檜原村紀聞」にあるが、これまで聞いたことがない。
海抜900メートル。そばに緊急用のヘリポートがある。
弘化四年は1847年。
硬い石か、くっきりと彫られている。
2012年12月8日土曜日
寒念仏塔 / 千足
寒念佛
文政九戌七月
文政九年丙戌(ひのえ・いぬ)は、1826年。
聖徳太子とお地蔵様の間にある。
この年に建立された寒念仏塔が、村で4基認められる。
そのうち北谷沿いの千足・中里・小岩地区のものは、字体や雰囲気が似ている。
2012年12月7日金曜日
寒念仏塔 / 中組
寒念仏
年紀等不明
風土記稿によると、澤又組に延命山寒澤寺があり、客殿七間半に五間という大きなもの。その墓地跡に石碑、石仏が立ち並んでいる。
現在はバス終点のUターン場所で、銀杏の木がある。お寺はそこの上にあったらしい。
2012年12月6日木曜日
寒念仏塔 / 上元郷
寒念仏供養 願主十四人
安永二癸巳十二月吉辰
上元郷地区の山王様(日枝神社)脇に、猿田彦と並んで立っている。
これも古く、安永二年癸巳(みずのと・み)は1773年。
2012年12月5日水曜日
寒念仏塔 / 宮ヶ谷戸
寒念仏供養塔 男女講中
明和四年丁亥十月吉日
明和四年丁亥(ひのと・い)は1767年。村史の寒念仏のリストでは一番古い。
念の字の中ほどから上が欠けている。塔の立ち並ぶ中にひっそりと佇む。
「四年」という年数の間に、干支を挟む表示(四丁亥年)というのが多いが、それは中世末期より江戸時代に限る様式、と日本石仏事典にある。
この石塔はめずらしく、四年~と彫られている。
2012年12月4日火曜日
寒念仏塔 / 下川乗
寒念仏供養 世話人 清水勘左衛門
柏木野 出野 出畑 下川乗 上川乗
天保十四癸卯五月吉祥日
柏木野組~各地域の念仏講の人々が寄り集まって、
供養塔を立てたか。
天保十四年癸卯(みずのとう)は、1843年。
2012年12月3日月曜日
寒念仏塔 / 上元郷
寒念仏 女講中
于時文化二丑天
于時は年号の初めにつく言葉で、訓読みは「ときに」
文化二年は1805年。
山王社(日枝神社)の傍らに、廿三夜塔などと並んでいる。
2012年12月2日日曜日
寒念仏塔 / 中里
寒念佛
発願主男女講中 文政九丙戌年
「講中」は読み取れるが、残念ながらあとはよく見えない。
となりは庚申塔(像塔)、その隣には大きな庚申塔(文字塔)もある。現在は使われていない旧道わきに立っている。
2012年12月1日土曜日
寒念仏塔 / 宮ヶ谷戸
寒念仏供養塔
小沢村男女講中 沢又 時坂 神戸 千足
文化十酉年十一月吉日
いくつかの集落の講が集まって建立したようです。村の中でもまだ寒念仏塔は数が少ない頃。
文化十年は1813年。
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