二十三夜に魅せられて
東京・檜原(ひのはら)村の石塔石仏と各地の二十三夜塔を訪ねて
2013年2月28日木曜日
念仏塔 / 小岩
念仏供養塔
文化七庚午歳三月吉日
文化七年庚午(かのえ・うま)は1810年。
小岩地区のお寺「東光寺」は臨済宗吉祥寺末。
念仏は浄土宗系なのでしょうが、宗派に捉われず講ができて、塔も造られたようですね。
2013年2月26日火曜日
百万遍念仏塔 / 本宿
百万遍供養
安永六丁酉五月吉日
本宿(もとしゅく)にある臨済宗建長寺派の吉祥寺の、
無縁の石塔などを集めた中に立っている。
百万遍とは「南無阿弥陀仏」を百万遍唱える念仏行事。
一人が修行として行う場合と、念仏講中が車座になって念珠を繰りながら唱えていくものがあった。
2013年2月24日日曜日
富士嶽神社 / 中里
富士嶽神社
明治二十七年二月神日
神社の建物があったわけではなさそう。
季節によっては苔がかぶさり凄味がある。旧道沿いに庚申塔と並んでいる。
富士山信仰。
2013年2月23日土曜日
道供養塔 / 大沢
(梵字)道供養塔
大沢邑 小林 ■ 兵衛
寛政三辛亥十一月吉日
大沢地区旧道の川側、ガードレールの外に立つ。
ペンキか何か塗られているよう・・・
寛政三年辛亥(かのと・い)は1791年。
梵字は馬頭観音の「ウーン」のようにも見える。
2013年2月22日金曜日
道供養塔 / 出畑
新道供養塔
文政九戌天十月初二日
道路の脇に庚申塔などと一緒に並んでたっている。
彫りが浅い。
文政九年戌(イヌ)は、1826年。
2013年2月21日木曜日
橋供養塔 / 事貫
西雲橋供養塔
四組世話人中
慶應三卯歳洨月吉日
川の近くにいくつかの石碑が苔むしている。
橋の姿もない。今は訪れる人もまれで、澄んだ秋川の流れだけが、
変わらず水音をたてている。
洨月は不明。慶應三年は明治前夜。
2013年2月20日水曜日
橋供養塔 / 数馬
叚橋塔
(下部に四十三人記名)
(年紀銘不明)
叚の字が難しい。人偏だと假(仮)、草かんむりだと葭(葦)。
仮橋や葦の橋ではないと思われる。
四十三人が費用を出し合ったのでしょう。架橋の「架」とも思ったが用例は見当たらない。
白川静「字統」には、玉や福の意もみられる。見た目からは、修飾しているようにも見えないが。
数馬地区の九頭龍神社境内。
2013年2月17日日曜日
道祖神 / 神戸
道祖神
願主 坂本平兵衛
慶應元丑九月吉日
神戸地区の春日神社に立つ。
道祖神はサエ(塞)の神、サイの神とよばれることもあるらしい。
旅の神・道の神であり、悪しき物が入ってこないよう境を守るか。
「塞神」と彫られたものは、檜原では見られない。
2013年2月15日金曜日
道祖神 / 神戸
猿田彦大神 島崎甚五良
明治三十三稔十一月吉天
街道から神戸地区への分岐点に立つ。
個人で建立し、何を祈ったか。
猿田彦神社は伊勢にあります。
2013年2月14日木曜日
道祖神 / 神戸
猿田彦大神 神戸邨中
安政四丁巳穐九月吉旦
神戸地区の入り口。
上部が欠けていて、猿の字が見えない。
猿田彦は天孫ニニギを案内したところから、道祖神・さいの神などとされた。
それが江戸中期以降は山崎闇斎により、「庚申」の神と提唱され大いに盛行した、とある。
この塔は江戸後期1857年建立だが、庚申塔らしくはない。
穐(あき)は、秋。吉旦は、吉日。
2013年2月13日水曜日
地蔵菩薩 / 白倉
(地蔵菩薩像)
暮野間邑 施主 ■ ■
(年記銘 不明)
新編武蔵國風土記稿には白倉組の小名に、「暮沼 村ノ中ホトナリ」 とある。
大きな庚申文字塔のかたわらに、合掌のお地蔵様。
2013年2月11日月曜日
地蔵菩薩 / 神戸
(地蔵菩薩像)
一休堂元居士
寛政五丑星
四段の台座の上に、地蔵菩薩の足元のみが残っている。
台座に一休堂元居士とあるが、戒名ではないのでしょう。
在家で道を探究する、高徳の士を称し、利休も利休居士の号を天皇より与えられたとある。
寛政五年(1793年)ころ、この神戸(かのと)の地に有徳の士、在り。
2013年2月10日日曜日
地蔵(橋供養塔) / 宮ヶ谷戸
橋供養塔 小澤村中
寛政二庚戌十月吉日
角柱型で上部にお地蔵様の合掌座像。
下部に橋供養の文字。寛政二年庚戌(かのえ・いぬ)は1790年。
橋の重要さ、また橋には霊魂が宿るとみられ(日本石仏事典)、
橋も本来は宗教的な存在であるので(日の出町史)・・・新設や修復の普請にさいし、
安全を祈って供養碑がたてられた。
頼朝は橋供養の渡り初めの帰路、落馬し、その怪我がもとで亡くなったとある。
2013年2月6日水曜日
百番塔 / 笛吹
百番塔
坂本惣衛門建之
明治三十九年十一月
石の面一杯に大きな文字で刻まれている。
石碑の題字に能書家の揮毫を依頼するようなことがあったかどうか。
ひのはら村では、今のところ書家の名前が彫られているのは見ていない。
明治も終わり頃。
2013年2月4日月曜日
百番塔 / 笛吹
百番塔 善光寺 高野山
中村甚之丞建之
明治三十年酉三月吉日
百観音に善光寺と高野山を巡拝した記念か。
中村甚之丞さんは相当信心深かったか、石碑を建てるのが好きだったか、
このあとも明治33年に「道祖神」、36年に「富士登山三十三度大願成就」、
44年に「馬頭観世音」を建立されている。
2013年2月3日日曜日
百番塔 / 笛吹
月山 湯殿山 羽黒山 百番塔
笛吹村 中村丹蔵
嘉永三戌星三月吉日
西国・坂東・秩父の
百観音霊場
に、出羽三山も加わって。
嘉永三年は1850年。
2013年2月2日土曜日
百番塔 / 笛吹
百番塔
施主 事貫井上滝之助 (他九名)
文化二丑星四月吉日
施主が事貫組だが、笛吹に立つ。
蓮台が美しい。
文化二年は1805年。
2013年2月1日金曜日
庚申塔 / 千足
庚申塔 講中
文化十二乙亥年四月五日
御魂桧原神社境内にある、瓢箪のような形の自然石文字塔。
文化十二年乙亥(きのと・い)は、1815年。
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