2013年6月30日日曜日

廿三夜塔 / あきる野市

二十  三夜

西蓮庵圓常書

願主 女中講中

維嘉永五年五月吉日

旧五日市町の西側、盆堀(ボンボリ)の共同墓地。
おそらくお寺の跡と思われる。
見晴らしのいい、敷地ぎりぎりの場所に、空に向かうように建っている。
嘉永五年は1852年。





2013年6月29日土曜日

廿三夜塔 / あきる野市

二十三夜

天保十五辰九月吉日

谷合四良右エ門
高倉山薬王院  信全

上部に月天・日天、その下に梵字の種子で「サク」

私の分類では、スソがつんと外に突き出した「オバQ型」
養沢川に沿った道で、おそらく旧道にあたる脇道に、川を背にして建っている。

薬王院信全は本山派修験と思われる、と「あきる野市の石造物」にある。
天保15年は1844年。







2013年6月26日水曜日

廿三夜塔 / あきる野市

廿三夜

文久三癸亥九月吉日


あきる野市の小宮地区乙津
檜原街道の十里木というところから、秋川にかかる橋を渡ってすぐの所。
川岸で月を待ったのでしょうね。

面白い形の川石に、くっきりと彫られている廿三夜という文字。
文久三年(みずのと・い)は1863年。










2013年6月25日火曜日

廿三夜塔 / あきる野市

二十三夜塔

明治十四年巳九月吉日

講中

 旧五日市町の養沢の奥の方。もう少し行くと、御岳山の裏側にぶつかる。桃源郷のような山里で、土蔵のある大きな民家が点在する。
 あきる野市には10基の二十三夜塔が確認されているが、すべて檜原村に隣接する旧五日市地域にある。

 向かって左には古いお地蔵様。右は大きな馬頭観音の文字塔。






2013年6月24日月曜日

廿三夜塔 / あきる野市

(月天) 廿三夜

安政五戊午天

五月廿三日   土屋宇太吉

土屋家の庭の中にたっていたと思われるが、
建物も今は無い。丈高い草の中に埋もれていた。
隣家の方に教えていただき、草をはらって撮影。

面白い形だがきれいな石塔。あきる野市小宮地区の養沢。
安政五年(つちのえ・うま)は1858年。







2013年6月23日日曜日

廿三夜塔 / あきる野市

二十三夜

天保十五年甲辰冬

東海大護道奉書

檜原村に隣接する、旧五日市町(現:あきる野市)の乙津地区にある、
「徳雲院」という禅寺にあります。
墓地の椿の樹の下でした。
豪快な文字の廿三夜塔です。
天保15年は、1844年。






2013年6月10日月曜日

奪衣婆 / 夏地

奪衣婆(だつえば)像

村史のリストには宝暦としか載ってないが、「檜原村の石仏」第二集には、
宝暦三癸酉年孟冬とある。

また、俗称「サードの婆さん」とでている。
宝蔵寺境内で子供たちが野球で遊ぶ時、ちょうどこの像がサードの位置になっていたか。
現在は、ほかの石碑などと一緒に小堂内にならんでいる。

宝暦三年(みずのと・とり)は1753年。孟冬は十月の異称。
奪衣婆は三途の川のほとりで、渡し賃を持たない亡者の衣をはぎ取った。閻魔大王の妻とも言われている。




2013年6月6日木曜日

百番塔 / 夏地

(梵字)百番供養

峯岸庄左衛門

寛政八辰四月吉日

小沢地区宝蔵寺境内。
しっかりした文字。
寛政八年は1796年。




2013年6月5日水曜日

名号塔 / 夏地

(梵字)南無阿弥陀仏

善光寺信徒中

明治参十九年九月二十四日建立

これも小沢地区夏地の宝蔵寺にあります。
一見墓碑のように見える角塔。



2013年6月4日火曜日

名号塔 / 夏地

(梵字)南無阿弥陀仏

善光寺参拝記念

昭和二年十月七日参拝
昭和三年三月廿一日立

講元 峯岸~蔵
その外 濱中~等数名の名前が見られる。

小沢地区の夏地にある宝蔵寺の参道、石段脇にある。
宝蔵寺は新義真言宗、豊山派、五日市の大悲願寺末。
米粒型(ジャポニカ種)






名号塔 / 茗荷平

南無阿彌陀仏

建立年不明

南無阿弥陀仏の六字名号塔。
面白い形の石。名号が彫られている墓碑もあるが、
外に文字が読み取れない。