二十三夜に魅せられて
東京・檜原(ひのはら)村の石塔石仏と各地の二十三夜塔を訪ねて
2013年7月30日火曜日
廿三夜供養(六地蔵) / 青梅市
■ 密 ■ 霊商除堤大日本武蔵国
同意為廿三夜待供養奉造立 ■ ■
・・・・後生清浄土 慶安三第二二之 ■ ■
青梅市の柚木町で、吉野街道沿いの民家の入り口にある。
石灯籠に似ているが、石幢(せきどう)といって、六角形の石柱の上に仏龕(ぶつがん)がのっている。
大変古く、慶安四年は1650年。
2013年7月29日月曜日
月待供養(聖観音) / 青梅市
月待供養 同行拾八名
元禄八乙亥年七月吉日
青梅市沢井の薬師堂への旧登り口に、お地蔵さまと並んでたっている。
現在は駅寄りに新道ができているので、少し捜しにくい。
元禄八年は、1695年と古い。そばのお宅の方により、きれいに手入れされている。
2013年7月26日金曜日
廿三夜塔 / 青梅市
奉供養廿三夜待
宝永七寅天六月吉日
願主 三田領 沢井同行三十四人
青梅市は檜原村の北東に位置する。多摩川に沿うように、青梅線・青梅街道が走る。
「澤乃井」の小沢酒造がある沢井駅のそば。旧道のお堂の中にお地蔵さま。月がきれいに見えそうな場所。宝永七年は、1710年。 お地蔵様なので信仰が続いている様子がわかる。
2013年7月25日木曜日
廿三夜塔 / 奥多摩町
廿三夜
万延元申年 十一月吉日
願主原嶋・・(7名)
「新多摩石仏散歩」に、温泉神社から熱海口バス停に下る途中の三差路にある、と出ていたので捜してみるが見つからない。神社はダム建設時に岬の上の方に移築されている。
畑仕事をしているおばさんに聞いて、やっと発見。石垣の上にあって、教わらないと見つけるのは難しい。美しい文字塔。万延元年(1860)
2013年7月24日水曜日
廿三夜塔 / 奥多摩町
廿三夜
維時明治廿二年二月廿三日
小河内ダムの貯水地、奥多摩湖に沈んだ小河内村。その原集落にあった石碑等が、湖畔の公園に集められている。
2013年7月23日火曜日
月待供養塔 / 奥多摩町
月待供養
享保九年
舟形像塔で、享保九年は1724年。
奥多摩町海沢地区。街道から脇に入って進むと、盆地のように開けた場所があった。
山奥なのに「海沢」(うなさわ)という。
その海沢の高台に、まさに雲に向かう 「向雲寺」 がある。
墓地の入り口に、六地蔵やその他の石塔と並んでたつ、勢至像(?)の月待供養塔。
天下泰平 国土安穏 孟秋 吉旦 と読めそうな字も見える。
やさしげな表情の勢至菩薩。
2013年7月22日月曜日
廿三夜塔 / 奥多摩町
廿三夜塔
嘉永元戊申 六月吉辰
金三百疋 その下に人名 6,7人
青梅線終点の奥多摩駅の南、長畑地区の氷川中学の脇に立つ。
正面上部に勢至観音像。
側面には、石塔をたてる費用と、負担した人の名か。
なかなか魅力的な廿三夜塔。
2013年7月19日金曜日
廿三夜塔 / 奥多摩町
二十三夜
文久二年九月廿三日
寸庭組
となりは「御日待供養佛」とあります。
お地蔵様のようですが。
奥多摩町の寸庭地区。屋根もあり、今でも信仰の対象になっているようです。
近所の方に聞いてみましたが、特にお祭りのようなことは、していないそうです。
2013年7月15日月曜日
廿三夜塔 / 奥多摩町
(サク)廿三夜勢至大菩薩
側面に 維時・・・ 願主 澤・・・・とありますが読み取れません。資料もなく、何か分かったらデータを補充いたします。
奥多摩町は檜原村の北側、山向こうになります。人口5,700人。
この石塔があった場所はJR青梅線「古里」駅の多摩川の対岸にあたり、地域名は「丹三郎」か「寸庭」でしょうか。
勢至菩薩は三十日秘仏の二十三日にあたり、廿三夜待の本尊。
「聖観音」と仲良く並んでいます。
2013年7月11日木曜日
廿三夜塔 / 丹波山村
廿三夜
あとは読み取れません。資料も見つからず。
宿場町のはずれあたり。神社の脇に立っていました。
丹波山村は山梨県。檜原村の西北に位置します。97%が山林。人口約630人。
多摩川の源流、「丹波川」は奥多摩湖に注ぐ。
青梅と甲州を結ぶ甲州裏街道の宿場町。先で大菩薩峠を越える。
2013年7月9日火曜日
廿三夜塔 / あきる野市
廿三夜
元治二丑 正月
あきる野市の横沢地区。大悲願寺から街道の方へ下る階段の途中にある。
榊が供えられている。現在もお参りしている方がいるようだ。
あきる野市でもこれより東側に、廿三夜塔はない。元治2年は1865年。
2013年7月7日日曜日
廿三夜塔 / あきる野市
廿三夜
明治五壬申年
孟夏日
(裏面) 念佛 女講中
當村 坂本きち
同 平塚ため ・・・8人の名前
五日市町の西側、小中野の大鳥神社境内。
女念仏講中が念仏を唱えながら、二十三夜の月の出を待つ。
孟夏は、四月。
2013年7月4日木曜日
三日月供養(月待) / あきる野市
三日月供羪
明治十年 十月吉日
願主 小峰豊吉
石工 星岳寺向
檜原街道、戸倉から細い道に入ってすぐの、人家の脇にある。この辺ではめずらしい、三日月供養塔。羪は養の異体字。
石工は明治九年の「二十三夜塔」と同じ田中銀蔵。
2013年7月2日火曜日
廿三夜塔 / あきる野市
廿三夜
丙子四月 女念仏講中
明治九年 世話人 黒山儀三郎
田中銀蔵
石工同人
あきる野市の西よりの戸倉地区で、川向うの星竹にある普光寺。
黒山儀三郎は当地の筏師で、「儀三郎日記」を残している。
田中銀蔵は山持ちの資産家だったらしい。
檜原城から戸倉城が見渡せ、狼煙で連絡が出来る距離。
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