二十三夜に魅せられて
東京・檜原(ひのはら)村の石塔石仏と各地の二十三夜塔を訪ねて
2013年12月17日火曜日
謎の関志路氏
関志路家の手がかりを教えていただいた方から、たしか以前はお寺(吉祥寺)にお墓が一列にならんでいたが、今はもう無いだろうという話もうかがいました。
お寺に行き無縁仏の集まりを見つめても、全くわかりません。あきらめて墓地を登り始めると、なんと・・・、ありました。入り口に近く、おそらく昔からの場所に3基並んでありました。
そして、関志路家先祖代々供養の卒塔婆がたっていました。数年前の年月が記されています。縁のある方がいらしたのですね。 丸に桔梗の紋です。
2013年12月10日火曜日
謎の関志路氏
敷地のすぐ後、川の方に下がったところに屋敷神らしい祠が見える。管理されているお宅が留守で、そばまで行けず。
道路の反対側、住宅の後あたりが山王で、日枝神社があり「社地五十歩斗年貢地 百姓関白(セキシロ)氏」所有だった場所。(檜原村地誌要領)
廿三夜塔の、眼と鼻の先に関志路家があったのですね。
2013年12月7日土曜日
謎の関志路氏 / 檜原村
関志路家のあった場所がわかりました!
村での飲み会の席で古い話が出たので、「関志路」という名前を知りませんかときいてみたら、偶然となりにいた方のお宅が、もと関志路家の土地ということでした。
その方のお父さんが昭和5年頃に移り住んで来られたという話をうかがいました。
左側の元農協だった空き地と、その隣の店舗、その先のしもた屋風の3軒が、同じ番地です。現在は3筆なのでしょう。
反対側から見たところ。奥に接するのは、現村役場。役場の向いは名主さんだったところであり、この辺りは村の中心地です。そして、村史を見ると明治23年にこの関志路氏の番地に中里より役場が移されています。
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