2014年8月11日月曜日

山梨県・上野原市棡原

廿三夜

享和元年酉天敬信 十一月吉辰  村講中

棡原の沢渡地区、どんどん山側に登って行ったところの小棡集落にある、臨済宗建長寺派水上山慈昌庵。その庭から斜面を見下ろすように建っている。





2014年8月4日月曜日

山梨県・上野原市棡原

廿三夜

天■■■癸巳■

村中

棡原の沢渡地区、芦瀬集落。川(鶴川)よりだいぶ上の方を通る道路から、又すこし斜面をのぼった所にたっている。どっしりとした二十三夜塔。
「棡原の石造物」には天保四年辛巳歳とあるが、現在は石が欠けているところがある。
辛(かのと)は間違いで、正しくは癸(みずのと)で天保四年。癸は読み取ることができる。

天保四年は1833年。








2014年8月3日日曜日

山梨県・上野原市棡原

廿三夜

寛政六甲寅天 十一月吉祥日

棡原(ゆづりはら)から西の西原(さいはら)や小菅村の方へ向かう街道を行くと、大垣外(おおがいと)という集落がある。古そうな地名である。
旧道と思われる道を何度も探し回るが見つけられない。暑い日差しの中、歩いている人の影もない。
お店があったので声をかけると、出てこられたおばさんがあっさり、「あるわよ」。 偶然にも、そのお宅の土地にたっているとのこと。
石塔のいわれや、なにかそれに因んだ行事があったかどうかは、覚えがないということだった。

教えられた道を川の方へ下って行くと、橋の手前に庚申塔や寒念仏塔、大橋供養塔が並んでいた。どっしりと力強い石塔たちで、周囲もきれいに手入れがされている。

寛政6年甲寅(きのえとら)は、1794年。