二十三夜塔
用竹殿村講中 世話人
天保十四寅之人月吉辰
用竹地区の道端でお店の修理をされている人にたずねると、神社から降りて行ったところにそんなのがあったかなあ・・・と。行ってみる。境内の端にはフェンスがあり、降りていく道はない。下をのぞくと、石が見える。フェンスの脇から滑り落ちるように降りると、ありました。
石仏、石塔群が荒れるにまかせて、放置された感じで、二十三夜塔も仰向けに倒れていました。斜面なのでいつ土に埋もれてしまうか。
2014年11月29日土曜日
2014年11月24日月曜日
山梨県・上野原市棡原
廿三夜
文化十二乙亥九月日
関宗叟
山の斜面にお寺と墓地が見えた。登り口を探していると、道で立ち話をしている三人のおばあさんが親切に教えてくれた。地蔵院。
本堂下の細い道に、万霊塔やお地蔵様と並んでいた。かわいらしい石塔。
文化十二年乙亥(きのと・い)は、1815年。
文化十二乙亥九月日
関宗叟
山の斜面にお寺と墓地が見えた。登り口を探していると、道で立ち話をしている三人のおばあさんが親切に教えてくれた。地蔵院。
本堂下の細い道に、万霊塔やお地蔵様と並んでいた。かわいらしい石塔。
文化十二年乙亥(きのと・い)は、1815年。
2014年11月17日月曜日
山梨県・上野原市棡原
二十三夜塔
天保七丙申年二月吉日
当村講中
尾続地区。県道から脇道に入る。
古い大きな家が数軒ならんでいる。
木を剪定している方がいて、かたわらに神社の石段。
神社の名前を尋ねると、声が出せない方で、紙に「カイ神社」と書いていただく。
塊? 鬼? 甲斐ではないと思うが。一般的には尾続神社と記されているようだ。
あとで、発声器をわざわざ取りに行かれ、ヤマトタケル伝説などを教えてくださった。
石段から右手に、灯籠などとならんで大きな二十三夜塔。
天保七丙申年二月吉日
当村講中
尾続地区。県道から脇道に入る。
古い大きな家が数軒ならんでいる。
木を剪定している方がいて、かたわらに神社の石段。
神社の名前を尋ねると、声が出せない方で、紙に「カイ神社」と書いていただく。
塊? 鬼? 甲斐ではないと思うが。一般的には尾続神社と記されているようだ。
あとで、発声器をわざわざ取りに行かれ、ヤマトタケル伝説などを教えてくださった。
石段から右手に、灯籠などとならんで大きな二十三夜塔。
2014年11月12日水曜日
山梨県・上野原市棡原
廿三夜
文化二年丑八月日
当村中
親切に案内していただいた方と心当たりの所を探し回り、近所のお宅で尋ねるが次が見つからない。竹やぶの前に双体道祖神があった。
斜面に石塔が散らばっている場所があり、期待して駆け寄るが最初は見つけられなかった。帰り際に念のためもう一回見てみると、まあるい念仏塔のそばに倒れている石塔があり、廿三の字が見えた。苔や蔦を手でかきわけると
文化二年は1805年。
文化二年丑八月日
当村中
親切に案内していただいた方と心当たりの所を探し回り、近所のお宅で尋ねるが次が見つからない。竹やぶの前に双体道祖神があった。
斜面に石塔が散らばっている場所があり、期待して駆け寄るが最初は見つけられなかった。帰り際に念のためもう一回見てみると、まあるい念仏塔のそばに倒れている石塔があり、廿三の字が見えた。苔や蔦を手でかきわけると
文化二年は1805年。
2014年11月10日月曜日
山梨県・上野原市棡原
二十三夜
明治二年巳八月日
石井氏
棡原(ゆづりはら)を縦断する県道上野原あきる野線の、棡原大橋そばから脇道に入る。林道のような感じで、車にも出会わず、熊に注意の看板が立っていて、道が違うのかと不安になる。
それでも進んでいくと、数軒の人家が見えた。登下(とっけ)地区。土壁のままの土蔵が並んでいる。一軒のお宅の庭に人の姿があったので、訪ねる。
「散歩がてら探してみましょう」と、案内していただいた。すぐそばの家の入り口に、小さな30センチほどの二十三夜塔が見つかる。明治のものだが素朴だ。 この辺りに、石井さんという苗字が多いようだ。
明治二年巳八月日
石井氏
棡原(ゆづりはら)を縦断する県道上野原あきる野線の、棡原大橋そばから脇道に入る。林道のような感じで、車にも出会わず、熊に注意の看板が立っていて、道が違うのかと不安になる。
それでも進んでいくと、数軒の人家が見えた。登下(とっけ)地区。土壁のままの土蔵が並んでいる。一軒のお宅の庭に人の姿があったので、訪ねる。
「散歩がてら探してみましょう」と、案内していただいた。すぐそばの家の入り口に、小さな30センチほどの二十三夜塔が見つかる。明治のものだが素朴だ。 この辺りに、石井さんという苗字が多いようだ。
2014年11月6日木曜日
山梨県・上野原市棡原
廿三夜
享和二壬戌天 九月吉日
当村講中
棡原の黒田地区にある日月神社の入口に建っている。
日月とは日待ちや月待ちを連想させるが、
天照大神と月読尊がまつられているのでしょうか。
享和二年は1802年。
享和二壬戌天 九月吉日
当村講中
棡原の黒田地区にある日月神社の入口に建っている。
日月とは日待ちや月待ちを連想させるが、
天照大神と月読尊がまつられているのでしょうか。
享和二年は1802年。
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