二十三夜に魅せられて
東京・檜原(ひのはら)村の石塔石仏と各地の二十三夜塔を訪ねて
2014年12月25日木曜日
山梨県・上野原市西原
徳大勢至菩薩
講中
享和三亥三月廿三日
郷原地区の宝珠寺の近くに石塔が並んでいる。大きな万霊塔のそばに勢至菩薩塔。文字が味わい深い。
月は勢至の化現であると説く経典の説があり、三十日仏説では勢至の有縁日は二十三日とされている。そこで月に対する礼拝は二十三夜に行うのが本筋であるとする考えから、いわゆる二十三夜の月待ちが室町時代から仏家で盛行するようになった。(日本石仏事典より)
西原(さいはら)でも空が開けた明るい地域に感じられた。
享和三年は1803年。
2014年12月22日月曜日
山梨県・上野原市西原
廿三夜
明治二巳年
原講中
原地区に二つ並ぶ廿三夜塔のもうひとつは、明治二年 1869年。
天保年間の塔の後側は読み取り出来なかったが、「西原の神仏信仰」H19市立西原中学校 によると、「原組中」で明治塔は「原講中」。 前者は地域で建立し、後者の頃は講組織が出来ていたか。
2014年12月20日土曜日
山梨県・上野原市西原
廿三夜
天保 ■■■■
原組中
県道沿いの一宮神社脇から三頭山の方向への道に入る。
人家の間を通って川に渡された細い橋を渡ると、石塔が並んでいる。
廿三夜塔が二基。庚申塔も二基。善光寺念仏供養塔もある。
地図には御嶽神社が近いようだが、山の上にあるのか見えない。
天保は1830年から1844年。
2014年12月19日金曜日
山梨県・上野原市西原
念三夜
慶應二寅年三月念三日
當組中 世話人 (11人の名前・・・)
西原(さいはら)は、山梨県上野原市の山間部。三頭山の向こう側は東京都檜原村。
その西原でも西端が飯尾地区。
御嶽神社の先、県道から少し入った所に神社風の集会所がある。
前に石塔群。廿三夜のほかに出羽三山供養塔や念仏供養塔が並んでいる。
慶応二年は1866年。
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