二十三夜に魅せられて
東京・檜原(ひのはら)村の石塔石仏と各地の二十三夜塔を訪ねて
2018年9月30日日曜日
茨城県 / 土浦市
(日・月)二十三夜塔
嘉永六年癸丑十月吉日
惣村講中
(裏面)金三朱 岡野儀左エ門
同 同 甚五兵エ
若者講中女人中
願主 岡田 弥三郎
小神野 忠平エ
土浦駅の西方約3キロ、粕毛町の阿弥陀堂そばに石仏・石塔が並んでいる。
3朱とあるが、1両=4分 =16朱。幕末は貨幣価値もだいぶ下がっているようだ。嘉永六年は1853年。6月にペリー来航。
2018年9月29日土曜日
茨城県 / 土浦市
(サク)奉待二十三夜供養
享保四己亥年 十一月吉祥日
結衆 六人
土浦市田中町の八幡神社にある3基目の二十三夜塔は笹の中に隠れていた。
享保四年己亥(つちのとい)は1719年。299年前で、3基の中では最も古いが上部をすこし欠いている。
2018年9月27日木曜日
茨城県 / 土浦市
二十三夜供養塔
宝暦十(庚)(辰)天
□ 月 ・・・
土浦市田中町の八幡神社。入口の鳥居の脇にある二基目の二十三夜塔は、上部が尖った自然石に浅い彫り。宝暦十年は1760年。
2018年9月22日土曜日
茨城県 / 土浦市
(サク)二十三夜塔
文化十二乙亥九月 日
田中講中 珉山刻(?)
土浦城(亀城)公園の北西1キロあたり、田中町にある八幡神社。
入口の鳥居脇に石塔が数基。
柱状の二十三夜塔でも、ここまで背が高いのは珍しい。「亥」と「刻」の鍋蓋の下の部分が異体字風になっているか。文化十二年は1815年。
2018年9月19日水曜日
茨城県 / 土浦市
(サク 日月) 廿三夜
寛政元己酉九月廿三日
現住 隆
□
土浦城址の亀城公園もほど近いあたりに琴平神社と不動院が並んでいる。
横に石柱型が目立つ石塔群。
廿の文字は十が二つ重なったような形。寛政元年は1789年。そばに、若者たちが力比べをしたという「力石」があった。
2018年9月15日土曜日
茨城県 / 土浦市
奉造立二拾三夜一結
□□
二世安楽攸
貞享元甲子天九月廿三日
神立村西平一結
□
衆欽白
土浦市神立町の二つ目の二十三夜塔。上部が欠けている。造立は貞享元年(1684)と古い。今から334年も前となる。
攸(ユウ)は、「所」の意。甲子(きのえね)のあとは「夭」のように見えるが、「天」だと思われる。
2018年9月10日月曜日
茨城県 / 土浦市
(サク)(日月)奉造立二十三夜信心一結諸衆二世
宝永元甲申天十一月日 祈
神立村西平一諸衆欽言 所
土浦市北東部の神立町神宮寺。真言宗豊山派で、本尊は地蔵菩薩とある。門の辺りは福祉施設となっている。奥の左手に石仏・石塔が並ぶ。二十三夜供養塔は板駒型。はっきりと多くの文字が刻まれている。宝永元年は1704年。
2018年9月8日土曜日
茨城県 / 土浦市
二十三夜講中 敬白
宝暦伍乙亥十一月吉日 願主 吉田氏
土浦市の東部にあたる田村町。その中央あたりに鷲(わし)神社がある。祭神は天日鷲神。天岩戸の前で神々が踊った時に楽器の弦に鷲がとまり、これを吉として、奏した神の名に鷲の字を加えた、とある。浅草はお酉様の「おおとり神社」。
参道の脇にひっそりと可愛らしい勢至菩薩像がたつ。手で何かを捧げ持つように見えたが、手を合わせているだけのようだ。
宝暦五年は1755年。
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