廿三夜供養塔 村講中
(安政五年九月二十三日)
JR常磐線荒川沖駅の南、約1.5キロ。
阿見町上本郷の公民館そばに多くの石仏・石塔がある。
資料には「おこや」とある。講屋・行屋か。安政五年は1858年。
2020年5月31日日曜日
2020年5月16日土曜日
茨城県 / 阿見町
奉供養廿三夜待 後生安楽也
元禄八年八月二十三日
茨城県JR土浦駅の南、約5キロ。稲敷郡阿見町の中郷西公会堂の脇。
資料には大日堂の観音堂にあると記されていた。元禄8年は1695年。
似た形が2体並んでいる。彫られた文字は読み取りにくいが、左側が当該勢至菩薩像か。
元禄八年八月二十三日
茨城県JR土浦駅の南、約5キロ。稲敷郡阿見町の中郷西公会堂の脇。
資料には大日堂の観音堂にあると記されていた。元禄8年は1695年。
似た形が2体並んでいる。彫られた文字は読み取りにくいが、左側が当該勢至菩薩像か。
2020年5月8日金曜日
茨城県 / 阿見町
十三夜 廿三夜 男女講中
安永九年・・
茨城県阿見町上条の万蔵院にもう一つ如意輪観音の月待塔。
移動してきたと思われるが、堂の横に他の石仏と並んで立てかけられている。
十三夜と二十三夜は男女の区別だったか、それとも混合だったのか。近年の同町の調査では庚申講が男の集まりで、月待や観音講などは女性の講に分類されている。安永九年は1780年。
安永九年・・
茨城県阿見町上条の万蔵院にもう一つ如意輪観音の月待塔。
移動してきたと思われるが、堂の横に他の石仏と並んで立てかけられている。
十三夜と二十三夜は男女の区別だったか、それとも混合だったのか。近年の同町の調査では庚申講が男の集まりで、月待や観音講などは女性の講に分類されている。安永九年は1780年。
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