享保廿一年(1736)の当番には、変わって、関白半七。 元文二年(1737)当番にも、関白半七。
享保六年の翌年予定者と、七年(1722)の当番に、関白甚之助。
正徳三年、四年の翌年予定者と、五年(1715)、六年(1716)の当番に、関白万右衛門。
宝永六年の翌年予定者に、向甚助(向は、小字名か)。七年(1710)の当番に関白甚助。
宝永二年の翌年予定者と、三年(1706)の当番に、関白甚左衛門。
元禄十六年(1703)の翌年予定者に、関白甚右衛門(こちらは右)。その後の当番者名には出てこない。
梅がつぼみ、口留番所に日が差す。後ろは村役場。
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