二十三夜に魅せられて
東京・檜原(ひのはら)村の石塔石仏と各地の二十三夜塔を訪ねて
2013年11月26日火曜日
馬頭観世音 / 湯久保
馬頭観世音
・・・三十三年六月
峯岸 寅・・・
年記・人名は、そのように見えますが確実ではありません。この石塔も人家の近くにあり、難しい所に建っている訳ではないのですがが、村史のリストには載っていません。
引っ掻いたような文字が彫られています。馬頭観音の文字塔。
2013年11月19日火曜日
地蔵 / 湯久保
(地蔵菩薩像)
いろいろな願いをかなえてくれる菩薩。子どもを守る子安・子育地蔵。また念仏・回国・庚申供養の主尊として信仰されている。
村史のリストにない。持ち込まれたか、当時の調査にもれたか。湯久保地区に地蔵の記載は見当たらない。
2013年11月16日土曜日
聖徳太子塔 / 大沢
聖徳太師塔
小沢 神戸職人講中
天保九戊戌年九月吉祥日
太子の「子」が、「師」となっている。太子講は職人や山仕事の人たちの集まりだったようだ。
天保九年戊戌(つちのえいぬ)は1838年。
小沢と神戸(かのと)地区はこの塔が建っている大沢地区のすぐとなりになる。同じ聖徳太子塔で、文久三年(1863)に、中里・白倉・大沢講中で建造したものが千足地区にある。
2013年11月11日月曜日
光明真言塔 / 下川乗
光明真言百万遍塔
誦者 俗名次良兵衛
文政八乙酉天九月二十五日
「光明真言」とは、陀羅尼(呪文の一種)のひとつで、梵字23文字からなり、「オン、アボキヤ、ベイロシヤナウ・・・」と始まる。翻訳せずに読誦される。
塔の一番上の種子(しゅじ)は、胎蔵界大日如来を表す「アーンク」か。
地元の人で、百万遍誦したことの記念に造立したものか。文政八年乙酉(きのととり)は1825年。
千部読誦塔(1774)、西国四国巡拝塔(1778)とともに並んでいる。熱心な信仰を感じさせられる。
2013年11月9日土曜日
巡拝塔 / 下川乗
西国四国供養塔
安永七年戌三月二十七日
施主 源兵衛 (他二名と村史リストにあります)
西国三十三所・坂東三十三所・秩父秩父三十四所の「百番塔」もよくありますが、こちらは西国三十三観音霊場と四国弘法大師八十八所の巡拝塔ですね。供養の「養」は、異体字。上下が左右の扁と旁(つくり)に分かれている形。
2013年11月8日金曜日
読誦(どくじゅ)塔 / 下川乗
千部塔
読師宗悟道人
安永三午天三月吉祥日
特定の経典を千部、読誦(どくじゅ)した記念に建てられたもの。
旧道があったところに他の石碑二体と並んでいる。
後ろの崖下は南秋川。
安永三年は1774年。
2013年11月7日木曜日
石祠 / 浅間尾根
(石祠)
祭神等は不明。浅間石宮と書かれた木柱が傍に立っている。
浅間尾根道の地蔵と馬頭の中間あたりにひっそりとある。
2013年11月5日火曜日
馬頭観世音 / 浅間尾根
(馬頭観音像)
安永二巳歳六月吉旦
像の両脇や台座に文字が刻まれているようだが読み取れない。
「檜原村の石仏第二集」には、鹿妻村(かづまむら)と刻んであるとでている。
いい表情の観音様である。安永二年は1773年。
2013年11月4日月曜日
地蔵 / 浅間尾根
即翁宗心信士
中村氏合掌
享保十巳年九月吉日
時坂から登り始め、峠の茶屋、瀬戸沢の旧高橋家を過ぎ、尾根道をたどる。浅間嶺を越えて、人里(ヘンボリ)へ下る分かれ道のところに立っている。
童顔だがしっかりした顔つきに見える。
新しい投稿
前の投稿
ホーム
登録:
投稿 (Atom)