二十三夜に魅せられて
東京・檜原(ひのはら)村の石塔石仏と各地の二十三夜塔を訪ねて
2015年7月26日日曜日
村外・大月市七保町
二十三夜
奈良子から国道の方へ戻り、少し進むと「ユルギの楓」という看板が目に付いた。細い脇道を登っていくと、民家が両側に軒を連ねる一画がある。こちらが本来の街道か。
大きなカエデの樹の根元に赤い鳥居と小祠、石塔が見える。
二十三夜塔はそばに倒れていた。
案内板によると、左側の樹はイロハモミジ。根回り3.3メートル。幹がねじれて伸びている。
七保町林の寛城(ゆるぎ)地区。
2015年7月24日金曜日
村外・大月市七保町
廿三夜
奈良子の方へ向かってどんどん北上。バスの終点の折り返しがある奈良子バス停そばに、春日神社。
赤い鳥居の脇に角柱型の廿三夜塔。
年紀等は不明。
2015年7月21日火曜日
村外・大月市七保町
二十三夜
嘉永七甲寅祀 一月吉日
当村中
小菅村から大月市へ向かう国道139号線から、奈良子の方へ向かう脇道にはいる。川は奈良子川。さらに林入口の看板の所から谷川への方へ下った辺りの林地区。
山ふところを少し登ったところに十王堂がある。十王とは閻魔大王をはじめとする、死後出会う鑑定者達。江戸時代はどこの村にもあったと、看板に出ている。その十王堂の道路を挟んで向かい側に、オバQ型の二十三夜塔。富士山のような形にも見える。彫りは簡素。
嘉永7年甲寅(かのえとら)は1854年。
。
2015年7月15日水曜日
村外・大月市七保町
廿三夜供養
文政十二己丑
三月吉日
大月市七保町の浅川地区。浅川沿いに東に進むと川久保。
道路に面して大きな名号塔がたっている。そばの石垣の上には、百番供養塔、庚申塔、馬頭観音と一緒に米粒型の廿三夜塔。
文政十二年己丑(つちのとうし)は1829年。
2015年7月14日火曜日
村外・大月市七保町
廿三夜
文久二壬
戌十二月 講中
大月市七保町浅川の腰越地区。小菅村のほうから葛野川に沿って南下。途中で東側から浅川が合流。浅川に沿って県道511号線。しばらく行くと腰越で、道路の北側斜面に安政五年の庚申塔と並んでたっている。少し先には仙元大菩薩塔が見える。
文久二年壬戌(みずのえいぬ)は、1862年。
2015年7月11日土曜日
村外・大月市七保町
廿三夜
文政三辰年
九月□□
大月市七保町瀬戸の北海戸地区。なかなか探せなかったが、何かの集まりから帰るところのおば様たちからおおよその場所を教えてもらった。
現在の道路(国道139)から少し上がったところに、庚申塔などといっしょにたっている。
近くのお宅では大きな長屋門の修理をされていた。
「大月市の石造物」には、学校跡とあるが広くはなく、小さな学校が建っていたか。
2015年7月5日日曜日
村外・大月市七保町
廿三夜
庚申 塔
大月市七保町でも北寄りの地域、瀬戸の上和田地区。
同じ山梨県の小菅村から新しく開通した松姫トンネルを抜け、国道139号線を南下する。深城湖やダムを通り過ぎる。
道路横に富士山信仰の仙元塔が立っていた。安政五年戊午か。そばのお宅の縁側に座るおばあさんに話を伺って、わき道をすこし登ると、畑のそばに茶色い石塔が見つかった。廿三夜と庚申が並んで彫られている。こちらは年号等は不明。
2015年7月4日土曜日
村外・大月市七保町
念三夜供養塔
宝暦九己卯天 理住沢州
十一月吉日
大月市で山間部の広い面積を占める七保町。そのなかでも中央線や高速道路に近い南部の大島地区にある宝林寺。
門前に、お坊さんの墓石に多い無縫塔の形を思わせる念三夜塔がたっている。
宝暦九年己卯(つちのと・う)は、1759年と、かなり古い。
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