二十三夜に魅せられて
東京・檜原(ひのはら)村の石塔石仏と各地の二十三夜塔を訪ねて
2015年9月25日金曜日
村外・大月市笹子町
廿三夜
大月市の西の端の笹子町吉久保。少し先には笹子トンネル。
稲村神社から旧道を北西方向に進むと、人家の後ろの山あいに観音堂があった。いろいろな石塔が建っている。建造年等は不明。
2015年9月22日火曜日
村外・大月市笹子町
廿三夜祠碣
文化二乙丑天
霜月吉日 講中
山梨県大月市の笹子町、吉久保地区。甲州街道の北側の旧道沿いに稲村神社がある。江戸時代の街道の面影を残す一画。
境内には、道祖神や多くの馬頭観音が並んでいる。珍しい凝った銘文で、祠(シ・ほこら)碣(ケツ・いしぶみ)。
頭部が半円形を「碣」、三角形のものを「碑」という説明もみられる。祠は、「まつる」あるいは「まつる場所」
文化二年乙丑(きのとうし)は、1805年。いまから210年前。ずいぶんキレイですが。
後ろの「醫王大権現」は、医から推察できるが、薬師如来を本地仏とする。
2015年9月14日月曜日
村外・大月市笹子町
廿三夜
文化三丙寅十一月
当駅中
大月市の西端、笹子町。甲州街道から、すうっと旧道にはいったところに白野宿。消防の見張り塔や公民館の向かいに、赤い小祠が並ぶ。脇にネズミ男型の廿三夜塔がたっている。
文化三年丙寅は1806年。
2015年9月13日日曜日
村外・大月市初狩町
廿六夜
得大勢菩薩
享和三癸亥九月
願主 小林氏奉岩
大月市初狩町の中初狩、上野原の甲州街道沿道に石塔群。角柱型に力強い文字の二十六夜塔。向かって左側には、勢至菩薩の「得大勢」と彫られているが、右側は不明。弥陀三尊の形だと観音菩薩になるが。 文字が素晴らしい。享和三年癸亥は1803年。
そばに「至音塔」と彫られた寛政八年(1796)の文字塔があるが、詳細不明。ほかに読誦塔、名号塔、地蔵、馬頭、秋葉山常夜灯なども並ぶ。
2015年9月11日金曜日
村外・大月市初狩町
廿三夜
下初狩中
明治二十九丙申一月吉日
大月市初狩町下初狩の中宿沿道に、新しく補修された常夜灯と並んでいる。
廿は、十十の形をしている。
山本周五郎の生家の近く。
2015年9月10日木曜日
村外・大月市初狩町
廿三夜
昭和十四年五月五日 奥脇氏
昭和の二十三夜塔が、立派な台石の上にのっている。廿の字が十十に見える。
大月市街から甲州街道を西へ。初狩駅の近くの初狩町下初狩平沢地区。街道から少し南にはいいった住宅のそばに建っている。昭和14年は1939年、第二次大戦勃発の頃。
2015年9月8日火曜日
村外・大月市大月町
廿三夜
村内安全
明治二十七年十二月建立
文字が赤く塗られている。
注連縄も張られている。注連縄は仏教ではなく、ご神体と認識されているということか。
大月駅から西へ2キロほど行ったあたり。大月町上花咲 花折地区。甲州街道から少し脇へ入ると、たくさんの馬頭観音が並んでいた。道路工事などで集まってきたか。
向かい側に背の高い二十三夜塔がたっている。
2015年9月4日金曜日
村外・大月市大月町
廿三夜
慶応二丙寅
正月□□
河合村□□□
大月市大月町の下花咲地区。甲州街道沿いに一里塚跡がある。
観光パンフレットによると、日本橋から24番目の一里塚ということで、100キロ弱になるか。
庚申塔や道祖神、馬頭観音、芭蕉の句碑などと一緒に並んでいる。
慶応二年は1866年、明治の前夜。
2015年9月2日水曜日
村外・大月市大月地区
廿三夜
弘化二巳年十二月廿三日
大月市街地を南側から見下ろすような場所に無辺寺がある。その参道の急な階段わきに弘化二年(1845)12月23日建立の二十三夜塔。
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