2015年11月29日日曜日

山梨県・都留市

二十三夜供養

同行五人

明和五戊子天十一月二十三日

山梨県都留市与縄の日影地区。東側は日向。

天正寺へ向かう分かれ道に、百番塔と馬頭観音が並んでいる。百番塔は道しるべも兼ねていて、「右玉川 富士道・・・」とある。馬頭観音には人参が供えてあった。

その向かい側の生垣の中に、唐破風付きの浮彫立像の美しい二十三夜塔。光輪やサイドの文字に朱が残っている。
明和五年は1768年。250年も前になる。






2015年11月27日金曜日

山梨県・都留市

廿三夜

元治元年乙丑歳三月二十三日

村講中

山梨県都留市。富士急行の禾生(かせい)駅西側の古川渡地区。桂川の左岸を古い富士道が通り、ここの古川の渡しで、右岸側の谷村路と結ばれる。
「都留市の石造物」に金子神社とあったが、行ってみると扁額は八王子神社となっている。
元治元年は西暦1864年だが旧暦二月二十日に文久から改元。乙丑は元治二年?








2015年11月23日月曜日

山梨県・都留市

二十三夜

願主 松山代

天保五年十二月

都留市井倉の生出(おいで)神社の赤い鳥居の前に、庚申塔と並んでいる。
種を割ったような形。
天保五年は1834年。神社の南に生出山があり、山頂に白蛇が棲んでいたとあった。






2015年11月21日土曜日

山梨県・都留市

廿三夜 □ □

享保八年四月三日

井倉村同行廿三人

山梨県都留市井倉の地蔵堂。堂内の子持地蔵尊は、文政九年高遠の石工による、とあった。
お堂前の両側に石塔がならんでいる。
古い石塔なので、彫銘は読みにくい。「廿三夜」のあと、「都留市の石造物」には、□ 食 とあるが、「供養」かもしれない。







2015年11月18日水曜日

山梨県・都留市

廿三夜

天保八年

大月からの富士急行線で3つ目の駅は禾生(かせい)。都留市井倉の九鬼地区の富士道から少し入ったところに、落合水道橋というレンガ造りの美しい橋がありました。その下をくぐり、愛宕神社に向かう角に小さめの二十三夜塔が安永七年(1778)の庚申塔と寄り添うようにたっています。
天保八年は1837年。

向こうにはリニアモーターカーの線路も見えます。




2015年11月16日月曜日

山梨県・都留市

廿三夜

文化十年(1813年)
田野倉は、富士急大月からふたつ目の駅で、都留の入口。
その門前地区で、富士道沿いに建っている。そばの富士山型の石塔は、三十三度富士山登頂記念碑か。
見つけられなくてぐるぐる回っていたら、親切な方に出会い、案内してもらった。
向かって左下に、機山■、裏には数人の氏名がある。





2015年11月14日土曜日

山梨県・都留市

廿三夜

上部に、日・月が彫られている。

向かって右側面には、□□筆のように見える文字あり。

山梨県都留市の小形山地区。富春寺の近くの分かれ道に、大きな三界萬霊塔と並んで建っている。
富春寺のご住職によると、こちらが参道入り口だったようだ。
萬霊塔の方は、寛政二戌(いぬ)春 富春禅寺 白隠・・・など読めます。寛政二年は1790年。









2015年11月12日木曜日

山梨県・都留市

二十三夜供養 同行十三人

元禄十七年 甲申  二月  日

山梨県大月より富士吉田方向へ南下。都留市に入る。小形山地区の富春寺(ふしゅんじ)。
本堂前に石仏が並んでいる。
舟形浮彫で、元禄17年1704年は、3月に宝永に改元。
(青字は仮の読み)






2015年11月6日金曜日

山梨県小菅村

廿三夜等

享和三亥年

三月廿三日

小菅村に上野原側から入る道筋の長作(ながさく)地区に、美しい観音堂がある。
その御堂の前に石塔が並ぶ。
一番大きいのは寛政の百番等。ほかに庚申供養塔、念仏供養等など。
(等)という表記がめだつ。 堂内には如意輪観音が安置され、安産の祈願者が多いとか。
享和三年癸亥(みずのと・い)は1803年。










2015年11月4日水曜日

山梨県小菅村

廿三夜

明治二巳年三月

田元中

小菅村の田元地区。道が大きくカーブするところの山側に石塔が並んでいる。

となり(向かって左)は茶色の角柱の上に丸い自然石が乗っている。角柱正面に日待供養(月待かも)、文政十三寅年とある。1830年。上の丸い部分には、日と月が彫られている。




2015年11月1日日曜日

山梨県小菅村 

廿三夜

明治四十四年か。

小菅村浅久保地区の薬王院に、牛馬観世音(大正3年)、太子塔(文政2年)、百番供養塔(文化4年)、供養塔(文化2年)などと並んでたっている。