廿三夜供養
伊勢崎市阿弥大寺町の薬王神社。JR伊勢崎駅の南西約3.5キロ。
社殿のわきに石仏群。二十三夜文字塔の建立年などは不明。
天明4年(1784)の双体道祖神や、宝暦4年(1754)の庚申塔などもみられる。
2019年10月31日木曜日
2019年10月19日土曜日
群馬県 / 伊勢崎市
徳大勢至菩薩
(右)嘉永五壬子年 三月廿三日樹之
(左)夫二十三夜尊者月光減損則無明消
減之法形而四弘無辺勢三諦絶唱至上求・・・
(台石)女人講中
伊勢崎市堀口町の曹洞宗昌雲寺。日光例幣使道という街道沿の明るいお寺。戸谷塚町の観音堂とは500メートル程の距離。
観音堂の二十三夜塔の「夫二十三夜尊者・・」以下の銘文がほとんど同じ。
左側の如意輪観音は文化三年(1806)の女人講中の二十二夜塔。
山門のそばに見事な青面金剛像の庚申供養塔があった。宝永元年(1704年)。
(右)嘉永五壬子年 三月廿三日樹之
(左)夫二十三夜尊者月光減損則無明消
減之法形而四弘無辺勢三諦絶唱至上求・・・
(台石)女人講中
伊勢崎市堀口町の曹洞宗昌雲寺。日光例幣使道という街道沿の明るいお寺。戸谷塚町の観音堂とは500メートル程の距離。
観音堂の二十三夜塔の「夫二十三夜尊者・・」以下の銘文がほとんど同じ。
左側の如意輪観音は文化三年(1806)の女人講中の二十二夜塔。
2019年10月8日火曜日
群馬県 / 伊勢崎市
稽首 二十三夜
(右)勢至菩薩 動三千界 光明法門 利益衆生
(左)夫二十三夜尊者月光減損則無明消滅・・・
・・時嘉永四辛亥九月 豎者法印伝海記
(裏面)総村女人講中 玄苗
(台石正面)近里 遠村 施入 国家 安穏
伊勢崎市戸谷塚町の観音堂。多くの石塔が並んでいる。
「稽首」は頓首に同じ。
右側の「二十二夜塔」は宝暦十一年(1761)
天明三年の浅間山の噴火による多くの死者が利根川の浅瀬にうちあげられた。村人たちが手厚く葬りその供養に地蔵を建てた。「夜泣き地蔵」と呼ばれているようだ。
(右)勢至菩薩 動三千界 光明法門 利益衆生
(左)夫二十三夜尊者月光減損則無明消滅・・・
・・時嘉永四辛亥九月 豎者法印伝海記
(裏面)総村女人講中 玄苗
(台石正面)近里 遠村 施入 国家 安穏
伊勢崎市戸谷塚町の観音堂。多くの石塔が並んでいる。
「稽首」は頓首に同じ。
右側の「二十二夜塔」は宝暦十一年(1761)
天明三年の浅間山の噴火による多くの死者が利根川の浅瀬にうちあげられた。村人たちが手厚く葬りその供養に地蔵を建てた。「夜泣き地蔵」と呼ばれているようだ。
2019年10月3日木曜日
群馬県 / 伊勢崎市
二十三夜 月讀尊
一菴美孝書(花押)
(裏面)慶應二年丙寅正月吉日 惣村中
伊勢崎市福島町の八郎神社。昔、非業の死をとげた群馬八郎満胤という人の霊を鎮める神社のようだ。(神道集巻第八)鳥居が赤いのも、そのような意味か。明治になり大正寺町の豊武神社に合祀され、社殿は八斗島町の稲荷神社に譲られたとか。のち、昭和の時代にふたたび分祀となり現在にいたる。
境内には多くの石塔が集まり、万延元年(1860)の二十二夜塔は「女人講中」とある。
一菴美孝書(花押)
(裏面)慶應二年丙寅正月吉日 惣村中
伊勢崎市福島町の八郎神社。昔、非業の死をとげた群馬八郎満胤という人の霊を鎮める神社のようだ。(神道集巻第八)鳥居が赤いのも、そのような意味か。明治になり大正寺町の豊武神社に合祀され、社殿は八斗島町の稲荷神社に譲られたとか。のち、昭和の時代にふたたび分祀となり現在にいたる。
境内には多くの石塔が集まり、万延元年(1860)の二十二夜塔は「女人講中」とある。
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