2020年2月17日月曜日

神奈川県 / 愛川町

廿三夜

文政八乙酉八月吉辰

講中

溜水(たるみず) 残草(ざるそう) 小峰 上田代 西谷戸 西原

愛川町田代の田代坂下バス停の近くの西谷戸。後方に見えるのは富士居山というらしい。文政八年(1825)、石塔裏面にある6か所の講中の建立か。

「愛川町の講」 町教委1998 によると、当時田代地区に二つの講が残っていたようだ。
西谷戸は7戸の女性が新暦の二十三日に持ち回りの講宿に集まり、掛け軸をかけ、鉦を鳴らし経文や念仏を唱和・・・
 西原も11戸の主婦が4,5,10,11月の都合の良い日に集まり、やはり掛け軸をかけ、鉦、念仏、数珠繰りをおこなう・・とある。

掛け軸も「勢至菩薩」ではなく、二十三夜に念仏講や大師講が習合しているようだ。










2020年2月5日水曜日

神奈川県 / 愛川町

廿三夜

文久二星舎壬戌二月吉日

村 (他の2基の台座に、 講・中)

愛川町は神奈川県の北部で西側は丹沢山地が始まるあたり、北は二十三夜塔も多く分布する旧津久井郡で、現相模原市緑区。東は相模川の向こうに相模原市、町田市という位置にある。町の中央を中津川が流れている。
愛川町半原地区の馬渡坂上に石塔が並ぶ。道路工事で移転してきたとの記念碑がそばにあった。

 文久二年壬戌(みずのえいぬ)は1862年。「星舎」は年の後について(星やどる)二月といった意味合いか。龍舎と同じような使い方。
 左から「庚申塔」「光明真言供養塔」「二十三夜塔」「道祖神」


2020年2月1日土曜日

神奈川県 / 愛川町

廿三夜

慶応丙寅夷則建

原講中

相模原市から山を越えて愛川町に入る。宮ケ瀬ダムも近い。
半原地区の小学校のそばの道路の辻に、石塔が並んでいる。
立札によると向かって左から「地神社」「二十三夜」「弘法大師・道祖神・秋葉大権現」「光明真言供養塔」「馬頭観音」「道祖神」「庚申塔」「地蔵」「双体道祖神」「馬頭観音」

二十三夜塔はぼってりとしたおにぎりのような形。慶應二年は1866年。「夷則」は陰暦7月の異称とある。