廿三夜塔
文化十一甲戌歳 臘月吉祥日
(台石)みのわ村中
神奈川県愛川町。宮ケ瀬湖の宮ケ瀬ダムから流れる中津川。海底(おぞこ)の「日月神社」から川を挟んで東側約2キロ、下箕輪地区の「地神社」。
鳥居をくぐって参道の先の石段の左右に、二十三夜塔と庚申塔がたっている。
文化十一年は1814年。臘月は陰暦12月。近くに「石神社」という名の神社もある。
2020年3月9日月曜日
2020年3月1日日曜日
2020年2月17日月曜日
神奈川県 / 愛川町
廿三夜
文政八乙酉八月吉辰
講中
溜水(たるみず) 残草(ざるそう) 小峰 上田代 西谷戸 西原
愛川町田代の田代坂下バス停の近くの西谷戸。後方に見えるのは富士居山というらしい。文政八年(1825)、石塔裏面にある6か所の講中の建立か。
「愛川町の講」 町教委1998 によると、当時田代地区に二つの講が残っていたようだ。
西谷戸は7戸の女性が新暦の二十三日に持ち回りの講宿に集まり、掛け軸をかけ、鉦を鳴らし経文や念仏を唱和・・・
西原も11戸の主婦が4,5,10,11月の都合の良い日に集まり、やはり掛け軸をかけ、鉦、念仏、数珠繰りをおこなう・・とある。
掛け軸も「勢至菩薩」ではなく、二十三夜に念仏講や大師講が習合しているようだ。
文政八乙酉八月吉辰
講中
溜水(たるみず) 残草(ざるそう) 小峰 上田代 西谷戸 西原
愛川町田代の田代坂下バス停の近くの西谷戸。後方に見えるのは富士居山というらしい。文政八年(1825)、石塔裏面にある6か所の講中の建立か。
「愛川町の講」 町教委1998 によると、当時田代地区に二つの講が残っていたようだ。
西谷戸は7戸の女性が新暦の二十三日に持ち回りの講宿に集まり、掛け軸をかけ、鉦を鳴らし経文や念仏を唱和・・・
西原も11戸の主婦が4,5,10,11月の都合の良い日に集まり、やはり掛け軸をかけ、鉦、念仏、数珠繰りをおこなう・・とある。
掛け軸も「勢至菩薩」ではなく、二十三夜に念仏講や大師講が習合しているようだ。
2020年2月5日水曜日
神奈川県 / 愛川町
廿三夜
文久二星舎壬戌二月吉日
村 (他の2基の台座に、 講・中)
愛川町は神奈川県の北部で西側は丹沢山地が始まるあたり、北は二十三夜塔も多く分布する旧津久井郡で、現相模原市緑区。東は相模川の向こうに相模原市、町田市という位置にある。町の中央を中津川が流れている。
愛川町半原地区の馬渡坂上に石塔が並ぶ。道路工事で移転してきたとの記念碑がそばにあった。
文久二年壬戌(みずのえいぬ)は1862年。「星舎」は年の後について(星やどる)二月といった意味合いか。龍舎と同じような使い方。
左から「庚申塔」「光明真言供養塔」「二十三夜塔」「道祖神」
文久二星舎壬戌二月吉日
村 (他の2基の台座に、 講・中)
愛川町は神奈川県の北部で西側は丹沢山地が始まるあたり、北は二十三夜塔も多く分布する旧津久井郡で、現相模原市緑区。東は相模川の向こうに相模原市、町田市という位置にある。町の中央を中津川が流れている。
愛川町半原地区の馬渡坂上に石塔が並ぶ。道路工事で移転してきたとの記念碑がそばにあった。
文久二年壬戌(みずのえいぬ)は1862年。「星舎」は年の後について(星やどる)二月といった意味合いか。龍舎と同じような使い方。
左から「庚申塔」「光明真言供養塔」「二十三夜塔」「道祖神」
2020年2月1日土曜日
神奈川県 / 愛川町
廿三夜
慶応丙寅夷則建
原講中
相模原市から山を越えて愛川町に入る。宮ケ瀬ダムも近い。
半原地区の小学校のそばの道路の辻に、石塔が並んでいる。
立札によると向かって左から「地神社」「二十三夜」「弘法大師・道祖神・秋葉大権現」「光明真言供養塔」「馬頭観音」「道祖神」「庚申塔」「地蔵」「双体道祖神」「馬頭観音」
二十三夜塔はぼってりとしたおにぎりのような形。慶應二年は1866年。「夷則」は陰暦7月の異称とある。
慶応丙寅夷則建
原講中
相模原市から山を越えて愛川町に入る。宮ケ瀬ダムも近い。
半原地区の小学校のそばの道路の辻に、石塔が並んでいる。
立札によると向かって左から「地神社」「二十三夜」「弘法大師・道祖神・秋葉大権現」「光明真言供養塔」「馬頭観音」「道祖神」「庚申塔」「地蔵」「双体道祖神」「馬頭観音」
二十三夜塔はぼってりとしたおにぎりのような形。慶應二年は1866年。「夷則」は陰暦7月の異称とある。
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