木の箱に納められていて、眠るときは枕元に置いた、とある。
埼玉大学文化人類学研究会の報告書に、その記録が翻刻されているのを見つけた。
そしてその記録をたどってみると、文久二年(1862)の当番名の中に、おそらく翌年の当番として、「向宿 関志路宮太郎」とでているのを発見。
廿三夜塔の建立年は6年前の安政三年(1856)なので、この方が建てた可能性もある。
翌年、文久三年の当番をおこなった人の名は、「向宿 関白甚八」となっている。なんらかの事情で倅などと交代したのではと、思われる。 表記が「白」に変わっている。
どちらでもよかったのか、あるいは分家等であって一部変更されたか。
奥の祭壇に先を尖らせた、山もりの「おとう飯」が見える。
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