二人はどこの役所へ訴え、何故牢に入れられ、どうして亡くなったのか。
有名な伊豆韮山家の、江川太郎左衛門という人が、江戸幕府の代官職を代々同じ名前で世襲しています。
伊豆・相模・駿河・甲斐・武蔵の天領の代官です。檜原村とは縁も深かったようで、明治の初め、檜原は韮山県に属していたこともあります。「江川家文書」が、かなりアーカイブ化されているようです。
天保六年(1834)頃、幕府直営の御林山(おはやしやま)の木を許可以上に大量に伐ってしまう不祥事があり、その当事者は江戸送りで入牢後、四か月で牢死。村役人筆頭の名主も、責を負い江戸送り。やはり1か月ほどで牢死。
天明四年(1784)の、炭運上の訴訟事件の50年ほど後のことです。
0 件のコメント:
コメントを投稿