二十三夜に魅せられて
東京・檜原(ひのはら)村の石塔石仏と各地の二十三夜塔を訪ねて
2013年4月4日木曜日
謎の名号塔 / 檜原村
古文書によると、檜原村と五日市の炭問屋の間で、取引の運上(税金)に関する争いがあり、村人の総代として訴えに行った中里久右衛門と、大向五郎左衛門は江戸で牢死。
五日市側は、炭運上の徴収を通して、幕府権力をうまく利用したと思われる、と村史にある。何度も奉行所や代官所に嘆願書が出された。
二人続けての死去は、刑死なのか。 供養塔に彫られているのは大向久右衛門・中里五郎左衛門。名前が古文書と入れ違っている。 また、施主名を刻んだ所が潰されている。お上への慮りか。
明治の改革まで、五日市の炭独占は続いた。
吉祥寺本堂
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