廿三夜 講中 嘉永三庚戌年八月吉日
嘉永三年庚戌(かのえいぬ)は1850年。 本宿(もとしゅく)の春日神社本殿脇に、庚申の文字塔と石祠と並んで。
「三夜待講」 各組毎に、一家の主人が毎月23日の夜に集まって催していた。・・・明治43年から新暦の23日・・・講金は月に30銭・・・毎日一人から一銭五厘ずつ徴収・・・
(当番の)家では・・(持ち回りの)三夜さんの像(掛軸)を床の間に飾って果物菓子などを供える。集会した人は月の出を拝み、懇談して帰る・・・ 明治37年から酒肴を出すようになった。
講は現在も続けられているが、・・・掛け金は500円~1000円となっている。
「佐賀県の民俗 下巻」 昭和49年 の藤津郡塩田町町区(現:嬉野市)