2012年8月31日金曜日

馬頭観世音 / 日向平

(馬頭観音像)  沢又村 施主小林与兵衛  安永六丁酉天四月日

可愛い系ですね。馬も可愛い。安永六年丁酉(ひのととり)は、1777年。




馬頭観世音 / 日向平 

馬頭観世音菩薩  明和九辰年二月日 

明和九年は壬辰(みずのえたつ)で、1772年。 災害等もあり(迷惑年)とも言われたというのは本当か?11月に安永に改元。





2012年8月28日火曜日

馬頭観世音 / 千足

(馬頭観音像)  享保元年一月吉日

村史の馬頭観音のリストのなかで、造立年の分かるものとしては最も古い。享保元年は1716年。
橋のそばの石碑群の中のひとつ。柳屋さんの向かい側。
馬頭観音の像塔では、舟形光背が多い。




2012年8月27日月曜日

馬頭観世音 / 千足

(馬頭観音像) 文政十三庚寅天十有二月朔日 

文政十三年庚寅(かのえとら)は1830年。 12月1日とあるが、12月10日には天保に改元。





2012年8月26日日曜日

馬頭観世音 / 宮ヶ谷戸

(馬頭観音像)  湯久保村  文政四巳九月日

 旧小学校の横から、伊勢清峰神社へ山道をすこし登ったところに立っている。文政四年は1821年。 顔の一部に損傷あり。 

 湯久保地区の獅子舞が毎年8月の最終土曜日、この神社に奉納される。本年は昨日、25日であった。
 


2012年8月23日木曜日

馬頭観世音 / 宮ヶ谷戸

(馬頭観音像) 為滅罪生善也  施主  宝暦十庚辰十月日  太良兵衛 
 
やさしく、可愛く、美しい。 宝暦十年は1760年。 村史のリストに 「施主」と「庚」が抜けているように見えますが、あとは村史の記載によります。




2012年8月22日水曜日

馬頭観世音 / 時坂

(馬頭観世音像)  宝暦九己卯七月吉旦  施主  時坂伊兵衛

時坂を登っていく途中にたっています。宝暦九年己卯(つちのとう)は、1759年。




2012年8月20日月曜日

馬頭観世音 / 本宿

馬頭供養 文政四巳十二月日

バス停のすぐそばにあり、おばあさんが横に座っているところをよく見かけます。
写真の左側が馬頭観音。




2012年8月19日日曜日

馬頭観世音 / 上元郷

奉造立馬頭観世音 尊容 延享二乙丑年正月吉辰  施主 佐次兵ヱ

頭上に馬の頭を戴く。馬の供養や無病息災の祈願で建てられる。時代が下がると特定の馬の墓標的意味合いで造立されるものも。

延享二年乙丑(きのとうし)は、1745年。




2012年8月16日木曜日

地蔵 / 小岩

(柱型六地蔵) 年号等不明  

「檜原村の石仏第二集」には、「車地蔵と呼ばれている」 とあり、その写真では、現在台座となっている笠型の石が、頭にのっている。







地蔵 / 事貫

(板型六地蔵)  寒念仏供養講中  人里 四ケ村中 安政五戊午十月宝珠日

宝珠日というのは特定の日をさすというより、ただ修飾しているだけでしょうか。
安政五年戊午(つちのえうま)は1858年。

右から二番目は幢(どう)・・旗のようなものを持っている。





2012年8月14日火曜日

地蔵 / 白倉

(板型六地蔵)  寛政二庚戌年十月吉祥日

 七体の六地蔵。左右の中央が合掌のように見える。地蔵は六道を輪廻転生する衆生を救済するということから、六態に分けて六地蔵とした。
 摩耗も進んでいるが美しい。地区の墓地の入り口に建つ。寛政二年庚戌(かのえいぬ)は1790年。





2012年8月12日日曜日

地蔵 / 笛吹

(板型六地蔵)  文化十一戌六月日

 大型の地蔵を中央に7体の六地蔵。中央の地蔵は左手錫杖、右手如意珠か。よく見かける地蔵と逆です。両脇の2体は合掌。
 六体の像の名称は諸説あり、持物・印相による像形の違いもあるようです。
 文化十一年は1814年。





2012年8月11日土曜日

道祖神 / 庚申塔 / 中里

(正面)(猿田彦像・下に三猿) 右側面に 猿田彦大神  

(裏面)(青面金剛像)  左側面に 庚申塚 文化十一戌星十二月吉日    

 村史では猿田彦を道祖神に分類している。天孫の道案内をした謎多く興味深い神。しかし石仏事典等によると、江戸中期以降、猿田彦は庚申の神として大いに盛行した、とある。三猿もついている。この地域で庚申講の本尊として木彫の猿田彦像がいくつか残っている。(新石仏散歩)

 裏面の青面金剛はだいぶ傷んでますが八臂(腕が八本)のように見えます。







2012年8月10日金曜日

その他の部 / 笛吹

(月・日) (富士) 登山三十三度大願成就  中村甚之丞建之
明治三十六年九月吉日

富士登山33回とはすごいですね。
33回とか50、66、88回などを記念して塔を建てたそうです。明治に入ると100回を越えるものが現われたと石仏事典にあります。





2012年8月8日水曜日

その他の部 / 中組

石碑の形、雰囲気は随分違うが、前回と同じ文言が彫られている。
富士のマークも線が細い。

(月・日) (富士) 仙元大神明藤開山  村上講社

明治三十二己亥載凉月

載は年の異字 凉月は陰暦7月の異称 

明治三十二年(つちのとい)は、1899年。






その他の部 / 笛吹

(月・日) (富士) 仙元大神明藤開山  
角行靈(霊)神  蠶(蚕)供養塔   明治三十年酉十二月建
村上講社中  世話人 高木外六名

長谷川角行 東覚(藤覚)1541-1646は富士で苦行し、富士講の開祖とされる。数代あとの後継者の村上光清は浅間神社を修復。富士講の組織を村上講として、最盛期をむかえる。

明治になってからは、各講が「扶桑教」にまとまったらしい。
仙元は(浅間)。明藤開山(みょうとうかいざん)は、角行が唱えた御神語。
かいこ供養塔とも彫られている。





2012年8月6日月曜日

その他の部 / 下川乗

富士嶽塔(富士は、文字ではなく模様) (月・日あり)
文政三辰歳三月吉祥日

富士講碑には講紋(印)や、先達・講元・世話人が刻まれているものが多いというが、この塔には無く、どちらかというと富士山を神格化したものでしょうか。
ダイナミックで私の好きな塔のひとつです。

文政三年は庚辰(かのえたつ)で1820年。







2012年8月5日日曜日

庚申塔 / 出畑

(庚申像)  年記銘は村史のリストによると □□十一年十一月□□

摩滅が進んでいて、読み取るのは難しい。三猿もなんとか判別できる程度。





2012年8月4日土曜日

庚申塔 / 中組

(庚申像) 當村中  (年記銘は不明)

倉掛、沢又地区の鎮守である春日神社本殿前にたつ。
三猿あり。
小さな男の子のような姿態でかわいらしい。






2012年8月3日金曜日

庚申塔 / 小岩

(庚申像) 功徳主 小岩村中 一部不明   年記銘 不明

向かって左上は欠けているが、右上には雲に乗った月。下の手には弓と矢。腕は細く貫禄は無い。
三猿は埋もれてしまったか? 旧学校下の石碑群の中に。






2012年8月2日木曜日

庚申塔 / 本宿

(笠付角柱型像塔) 当村中 源左衛門 (他五人) 宝暦九己卯六月吉烏

臨済宗建長寺派、吉祥寺境内に、無縁仏等と一緒にまとめられている。窮屈そう。正面からは見えにくい。彫られている文字も確認しにくい。
宝暦九年己卯(つちのとう)は1759年。


                                        奥の笠付角柱型