2015年10月31日土曜日

山梨県小菅村

二十三夜塔

寛政四年子四月日

下部に岡部伊三郎ほか5人ほどの名前あり。
となりは湯殿山・月山・羽黒山供養塔。

西へ向かう青梅街道の奥多摩湖の端あたりで、南寄りに分岐して進むと山梨県小菅村。武蔵と甲斐の境に近い余沢地区に、口留番所があったようだ。坂道の途中に、二基の石塔が並んでいる。
寛政四年は1792年。やや細身のねずみ男型。






2015年10月29日木曜日

山梨県丹波山村

廿三夜

元治元甲子年

十一月吉祥日 小袖中

「丹波山村誌」昭和56年に、小袖ではお雛様の古い人形は道祖神場である「廿三夜塔」に供える、とでていた。
また、年中行事の11月23日の項に、(二十三夜講)についての記述がある。
大正から昭和10年頃にかけて盛んに行われた。当日、当番の家に集まり、粟や小豆を作り、夜を徹して豊作を祝った。しかし今では絶えてしまった。
向かって左は馬頭観音、右は不明。ここが道祖神場と言われているなら、右は道祖神?

小袖地区は丹波山入口近くの鴨沢から北へ分け入ったあたりだが、災害で道路がまだ復旧しておらず、少し西に進み林道を走って上る。途中、雲取山へのハイカーの車が山中に沢山止まっている。 集落の戸数は5.6軒か。元治元年は1864年。






2015年10月28日水曜日

山梨県丹波山村

廿三夜

嘉永七星舎甲寅  

老秋中旬(?)

(背面)世話人 金二両 

酒井・岡部・小林・金丸・?の5人の氏名 

他にも氏名あり
嘉永7年は11月27日に嘉永から安政に改元される。1854年。

東京都奥多摩町から、山梨県丹波山村の入口の橋を渡った湖水側に、三つの石塔が立っている。まん中が二十三夜塔。文字の読み取りは(仮)としておいて下さい。
二両は当時の6,7万か。それを5人各自が出したか、5人で二両か。










2015年10月21日水曜日

八王子市 / 大横町

二十三夜塔

天保十四癸(卯と思われるが、以下読み取れず)

三月吉祥日  願主 鈴木榮

八王子の街中、甲州街道から十六号が北に向かうあたりに、宝樹寺。
境内には稲荷社もある。となりの石塔は猿田彦大神と彫られ三猿もある。
そのとなり二基は文字の庚申塔。




東京都・奥多摩町

二十三夜

辦財尊天

明治二年造立

小畄浦中

東京都の最も西の地域。奥多摩町小留浦(ことずら)。青梅街道沿いに馬頭観音や名号塔などがずらりと並んでいる。向かいは奥多摩湖。

ダムができて湖に沈んでしまった小河内村の石仏・石塔が、集められたのかもしれない。
このすぐ上にある太子堂も、移築されてきたようだ。
弁才天と併記されているのも珍しく、形もユニーク。 (畄は留の異体字)








2015年10月19日月曜日

東京都・奥多摩町

廿三夜

文久元辛酉歳

十月廿三日建之

奥多摩町でも青梅街道からは奥多摩湖の対岸。
檜原村側からは奥多摩周遊道路を下りきったあたり、山のふるさと村として開発された中に、大型の二十三夜塔がありました。奥多摩町川野地区。
文久元年辛酉(かのと・とり)は1861年です。写真は春に撮ったもの。







東京都・杉並区妙法寺

杉並区の日蓮宗堀之内妙法寺
厄除祈願で有名です。

毎月23日が「二十三夜尊」の縁日として、二十三夜様を御祀りしてある二十三夜堂が開かれます。この日、月待ちをすれば願いがかなうとあります。
祖師堂には二十三夜様の掛け軸がかけられます。

案内によると、二十三夜様とは「二十三夜大月天子」で、もとはバラモン教の神で月を神格化したもの。仏教にとりいれられ、仏教の守護神となった。

妙法寺では18世日観上人の頃から始まったとあるが、いつ頃か。開基第2世が1620年頃で、現在が37世というので、平均で勘案すると1800年頃?

新宿より外側になるが、近くを青梅街道、五日市街道が通る。







2015年10月13日火曜日

東京都・稲城市

二十三夜塔

天保七申年六月吉辰

妙見寺良全代建之

(台座正面) 講中
(台座左右に12名ずつの氏名)

京王線稲城駅の山より、百村(もむら)地区に神王山北辰妙見寺。
北辰 、妙見菩薩は北極星を神格化。
旧の七夕、8月7日に妙見尊で「蛇より祭」がおこなわれる。そばの萱場から刈ってきた青カヤで長さ100メートルもある蛇(というより、龍?)を撚りあげる。 
鳥居のあるお宮の行事を、お寺がとりおこなっている神仏混淆のめずらしいお祭り。






2015年10月11日日曜日

東京都・稲城市

廿三夜塔

安政歳在丁巳臘月

現月隣炷薫拝書

當村講中(台座)

JR南武線の南多摩駅の近くの大丸(おおまる)にある、円照寺。この周辺も昔の街道の面影を残している。
臨済宗建長寺派。門前に廿三夜塔と庚申塔が並んでいる。
廿三夜塔は少し上部が欠けている。安政の丁巳(ひのと・み)は四年で1857年。臘月は12月の異称。
炷は、稲城市教委H6「石造物と信仰」には、火へんに生とでている。








2015年10月5日月曜日

村外・大月市賑岡町

廿三夜

明治二十五年十一月

甲州街道で大月駅前から少し西を右折、富士急の線路とJR中央線の線路を越え、
桂川を渡り、中央高速の下をくぐると、急に山村の風景。
大月市賑岡町の浅利地区。石垣の角に明治の文字塔。文字が赤く塗られている。