2014年7月29日火曜日

山梨県・上野原市棡原

廿参夜地蔵

椿村桐坪講中


年号等は不明。旧道と思われる道沿いに、秋葉神社と不動堂が並んで建っている。
その境目あたりに、供養塔、三界万霊塔、庚申塔、聖徳太子塔、念仏供養塔、二十三夜塔、名号塔がずらり横一列となっている。

地蔵とあるのもめずらしい。バーバパパ型。








2014年7月27日日曜日

山梨県・上野原市棡原

二十三夜

文政二巳卯歳

村中

檜原村の南の尾根を越えたところにある地域のひとつ、棡原(ゆづりはら)。
現在は車道とトンネルも開通し、そのまま南下すると、甲州街道につながる。

最初に出会う集落が、日原。
集落に入って進んでいくと道端に石塔が並んでいた。古い墓標。
そばで草刈りをしていた方に尋ねると、すぐそばの道がわかれるところに大きな二十三夜塔が立っていた。
棡原中学校編「棡原の石造物」 昭和55年上野原町教委発行によると、197㎝。

その場所を庚申というそうで、庚申塔と聖徳太子塔が一緒に並んでいる。
「お日待ち」ということの習慣はあったそうだ。二十三夜が女性の講かどうかは不明。

この地区も獅子舞があり、秋の祭りは10月。檜原村は9月が多い。新暦・旧暦の違いなのか。獅子舞は檜原から伝わったという地区もあるとのこと。
話を伺った方は、以前天皇がこの地区を訪問された際に獅子舞等の説明をしたという。「伝統が絶えぬよう伝承ください」との言葉に、責任を感じていますといわれた。
石塔のそばの家の亡くなったおばあさんは、檜原村人里(へんぼり)から嫁いでこられたらしい。歴史のあると分かる屋号のお宅。

文政二年己卯(つちのと・う)は、1819年。
檜原村の二十三夜塔は1850年代が多いが、棡原では1800年代前期が多い。この地域から伝わったように思える。













2014年7月13日日曜日

馬頭観世音 / 本宿

馬頭観世音

立主 師岡徳左衛門

明治廿四年九月

本宿交差点の正面の石塔群の中にある。
明治の文字塔。






2014年7月8日火曜日

馬頭観世音 / 本宿

馬頭観世音

武蔵國多摩郡檜原村

安政四巳歳八月吉日

草書体の文字塔。施主の名が無い?

安政四年は1857年。