2014年11月29日土曜日

山梨県・上野原市棡原

二十三夜塔

用竹殿村講中 世話人

天保十四寅之人月吉辰

用竹地区の道端でお店の修理をされている人にたずねると、神社から降りて行ったところにそんなのがあったかなあ・・・と。行ってみる。境内の端にはフェンスがあり、降りていく道はない。下をのぞくと、石が見える。フェンスの脇から滑り落ちるように降りると、ありました。

石仏、石塔群が荒れるにまかせて、放置された感じで、二十三夜塔も仰向けに倒れていました。斜面なのでいつ土に埋もれてしまうか。







2014年11月24日月曜日

山梨県・上野原市棡原

廿三夜

文化十二乙亥九月日

関宗叟

山の斜面にお寺と墓地が見えた。登り口を探していると、道で立ち話をしている三人のおばあさんが親切に教えてくれた。地蔵院。
本堂下の細い道に、万霊塔やお地蔵様と並んでいた。かわいらしい石塔。

文化十二年乙亥(きのと・い)は、1815年。







2014年11月17日月曜日

山梨県・上野原市棡原

二十三夜塔

天保七丙申年二月吉日

当村講中

尾続地区。県道から脇道に入る。
古い大きな家が数軒ならんでいる。

木を剪定している方がいて、かたわらに神社の石段。
神社の名前を尋ねると、声が出せない方で、紙に「カイ神社」と書いていただく。
塊? 鬼? 甲斐ではないと思うが。一般的には尾続神社と記されているようだ。

あとで、発声器をわざわざ取りに行かれ、ヤマトタケル伝説などを教えてくださった。

石段から右手に、灯籠などとならんで大きな二十三夜塔。






2014年11月12日水曜日

山梨県・上野原市棡原

廿三夜

文化二年丑八月日

当村中

親切に案内していただいた方と心当たりの所を探し回り、近所のお宅で尋ねるが次が見つからない。竹やぶの前に双体道祖神があった。

斜面に石塔が散らばっている場所があり、期待して駆け寄るが最初は見つけられなかった。帰り際に念のためもう一回見てみると、まあるい念仏塔のそばに倒れている石塔があり、廿三の字が見えた。苔や蔦を手でかきわけると

文化二年は1805年。






2014年11月10日月曜日

山梨県・上野原市棡原 

二十三夜

明治二年巳八月日

石井氏

 棡原(ゆづりはら)を縦断する県道上野原あきる野線の、棡原大橋そばから脇道に入る。林道のような感じで、車にも出会わず、熊に注意の看板が立っていて、道が違うのかと不安になる。

 それでも進んでいくと、数軒の人家が見えた。登下(とっけ)地区。土壁のままの土蔵が並んでいる。一軒のお宅の庭に人の姿があったので、訪ねる。
 「散歩がてら探してみましょう」と、案内していただいた。すぐそばの家の入り口に、小さな30センチほどの二十三夜塔が見つかる。明治のものだが素朴だ。 この辺りに、石井さんという苗字が多いようだ。




2014年11月6日木曜日

山梨県・上野原市棡原

廿三夜

享和二壬戌天 九月吉日

当村講中

棡原の黒田地区にある日月神社の入口に建っている。

日月とは日待ちや月待ちを連想させるが、
天照大神と月読尊がまつられているのでしょうか。

享和二年は1802年。