2013年4月4日木曜日

謎の名号塔 / 檜原村

 古文書によると、檜原村と五日市の炭問屋の間で、取引の運上(税金)に関する争いがあり、村人の総代として訴えに行った中里久右衛門と、大向五郎左衛門は江戸で牢死。
 五日市側は、炭運上の徴収を通して、幕府権力をうまく利用したと思われる、と村史にある。何度も奉行所や代官所に嘆願書が出された。

 二人続けての死去は、刑死なのか。 供養塔に彫られているのは大向久右衛門・中里五郎左衛門。名前が古文書と入れ違っている。 また、施主名を刻んだ所が潰されている。お上への慮りか。
 明治の改革まで、五日市の炭独占は続いた。



吉祥寺本堂

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